パカル王の石棺に刻まれた生と死の日付

世間ではクリスマス・イブとされている12/24。『ドリームスペル(13の月の暦)』のツォルキンだとKIN60(8・太陽)という日付になる。アグエイアス夫妻によって『ドリームスペル』に続いて発表された『テレクトノン』では、この日付がパカル王の誕生キンと紹介されている。この表現は一部正しく、一部間違っている。どういう事だろうか?

13の月の暦の大基本】や【「13の月の暦」のアプリ】に書いた通り、マヤ暦のツォルキンとドリームスペル(13の月の暦)のツォルキンは、異なる日付をカウントしている。例えば、今日12/24のマヤ暦ツォルキンは「1イシュ」で、ドリームスペル(13の月の暦)的に表現するとKIN14という事になり、上記のKIN60とは46日ズレた関係になっている。

初心者はもとより、暦をそれなりに使って来た人でも、この話は少々混乱するかもしれない。しかし、それは物事に対して一つの見方しか無いと思い込んでいる事から生じる混乱なのだ。「同じツォルキンでも別な数え方をするものが複数ある」という前提があるとすれば、それほど複雑な話ではない事が分かるだろう。

かくいう私も、かなり長い間『テレクトン』由来の情報をあまり深く考えずに受け入れ続けて来た。しかし、2012年にあるきっかけがあって、ドリームスペル(13の月の暦)のツォルキンで計算してみたら、パカル王の誕生キンはKIN60とは違う日付になる事に気付いたのだ。

その詳細とプロセスについては、江本勝所長との共著『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』に譲るが、結論を記せば、パカル王の誕生キンは、KIN190(8・犬)だと分かったのである。では、『テレクトノン』で紹介されたKIN60(8・太陽)はどこから来ているのだろうか?

パカル王が埋葬されていた石棺の蓋に刻まれていた王の誕生日は「8アハウ」という日付で、これをドリームスペル(13の月の暦)風に書くとKIN60となる。つまり、アグエイアス夫妻自身が、古代マヤ暦ツォルキンの日付をドリームスペル風にアレンジして表現してしまっていた訳である。これでは混乱しても仕方が無い。

しかし、おかげで、これに絡んで最近ちょっとした発見があった。パカル王の誕生と死の日付を、マヤ暦とドリームスペル(13の月の暦)で計算すると、綺麗な対称性が示されるという事に気付いたのだ。

2日前の冬至にKIN58(6・鏡)が巡って来るのに気付いた時、「パカルが死んだ日」とされるこの日付も、やはり石棺に刻まれた古代のツォルキン(6エツナブ)を単純にドリームスペル風に表記しただけである事を思い出し、ドリームスペル(13の月の暦)ツォルキンで計算し直すとどうなるんだったかな?と気になったのだ。

それで、実際にKIN3DとMAYA3Dというアプリを使って計算してみた訳だが、土台となる日付の抽出には多少注意が必要なので、先にそれをメモしておきたい。まず、私が計算の根拠にしているのは、Linda Schele と Peter Mathewsというマヤ学者が書いた『THE CODE OF KINGS』という本に登場する日付である。

有名なマヤ遺跡の碑文を紹介しつつその内容を解説している本書は、一般書の体裁を取りながらも、かなり詳細な情報が得られる貴重な本である。しかし、本書に登場する日付は全て、マヤ長期暦の大周期をBC3114.8.13〜2012.12.23とする説に基づいているので、私は、これをMAYA3Dというアプリでも採用されている割と一般的な説(BC3114.8.11〜2012.12.21)に変換して(2日ずらして)計算をし直し、以下のような結果を得た。

★パカル王「誕生」の日付
マヤ長期暦(ハアブ):9.8.9.13.0(13ポプ)
マヤ暦ツォルキン:8アハウ(KIN60相当)
ドリームスペル:「8・犬」(KIN190)
グレゴリオ暦換算:603.3.24

★パカル王「死」の日付
マヤ長期暦:9.12.11.5.18(11ヤシュ)
マヤ暦ツォルキン:6エツナブ(KIN58相当)
ドリームスペル:「12・星」(KIN168)
グレゴリオ暦換算:683.8.29

こうして、書き出してみた後で、生まれた時はマヤ暦で「黄色」、ドリームスペルで「白」の日であり、死んだ時はその逆になっている事に気付いたのだ。グレゴリオ暦の閏日を考慮しないマヤ暦と、あえて考慮するドリームスペルでは、年を経るごと、その関係性は変わって行くのに、何故こんなに綺麗な関係が保たれているのだろうか?それを解くために、もう少し具体的に日付のズレを見てみたい。

生誕日はマヤ暦ツォルキンとドリームスペルで130(=190-60)日離れているのに対して、死んだ時は110(168-58)日離れた関係性になっている。これは、パカル王の80年という生涯が、4で綺麗に割り切れることと関係している。グレゴリオ暦の閏日は400年に97回(ほぼ4年に1回)巡ってくるので、80年で綺麗に20日ズレたのである。

おかげで、生まれた時も死んだ時も、マヤ暦ツォルキンとドリームスペルの「色」が「反対」の関係になっていて、20種ある絵文字の関係性も、ドリームスペル的に表現すれば「反対キン」(10離れた関係)という関係を保っているのである。

パカル王の声を聞いたホゼ(KIN11)と、そのパートナーであったロイディーン(KIN22)によって提唱された『ドリームスペル(13の月の暦)』の特徴の一つは、多様な関係性に気づけるよう設計されている点にある。今回の発見も、もしかしたら、パカル王とアグエイアス夫妻からのクリスマスプレゼントみたいなものなのかもしれない。

ドリームスペル(13の月の暦)は、使っていくほど発見が増え、情報の統合度が高まる潜在意識開発ツールである。この銀河からの大きなプレゼントを真に活かしてみたいと思う方は、13日後のG暦新年最初の新月に巡ってくるチャンスを見逃さないように。(D)

律動の月12日 8・太陽(KIN60)

*トップ画像はパカル王の墓室と石棺

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