パレンケ招待28銀河スピン&ホゼ銀河帰還8年

私がマヤ遺跡パレンケを訪れたのは、1999.4.12。『13の月の暦』の日付としては、赤い律動の月の年、惑星の月9日、KIN149(6・月)だった。今日は、そこから260日暦が28回巡ったタイミングで、20年-20日に当たる日でもある(*)。

1999.4.12(KIN149)のスケッチ。2012.3.16に再発見された。

「碑銘の神殿」の中央階段69段を登り、頂上部から再び地下墓室への階段(私のメモでは45+22=67段)を降りて、王の遺体が1260年間封印されていた石室に身を置いた時の印象は今も鮮明で、鉄格子の先にある石棺の大きさにも驚いたものだった。

1999.4.12(KIN149)のメモ

この時の旅に誘って下さった滝元さん(KIN190)が、『ドリームスペル(13の月の暦)』ツォルキンで調べた時のパカル王(KIN190)と同じだと判明したのは、2012年3月のこと。つまり、私はパカル王のお招き&ガイドでパレンケを訪れていた事を、遺跡訪問13年後に知ったのだった。

この時の経緯は、江本勝氏との共著『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』に記してあるので、関心のある方は手に取って頂ければと思う。ある面『宇宙の暦は13ヵ月』よりも簡潔に要点がまとまっている所もあるので、初心者の方にもお薦めしたい。

4次元的なパカル王とも言える滝元さんは、ホゼがその名を知られる事になった『マヤン・ファクター テクノロジーを超えた道』の監訳者でもある。そして、この本のP371「日本語版特別編集ホゼ・アグエイアスへの質問」の扉に使われているパレンケの写真は、ぴったり28銀河スピン前の今日、私の目の前で滝元さんが撮影したものである。

ちなみに、『マヤン・ファクター』が米国で発刊されたのは1987年。パレンケが世界遺産に登録されたのも、ホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻の呼びかけで「ハーモニック・コンバージェンス」という世界的な瞑想イベントが行われたのも、私と同い年だったホゼの息子ジョッシュが他界したのも、全て1987年の事である。

それから24年後の2011年3月23日(KIN89)、つまり、ぴったり8年前の今日、ホゼ自身も銀河へと帰還して行った。そういう意味では、今日は私のパレンケ訪問28銀河スピンとホゼの他界8周年が重なるかなり特別な1日である。

加えて、現在の「太陽の月」は、『20の銘板』の数え方だとKIN22(9・風)に対応する。これはパレンケと縁の深い存在ボロン・イク、そして銀河の母・ロイディーンの誕生KINだ。ロイディーンも既に他界しているが、私は今もホゼ、ロイディーンを身近に感じる。会った事はないが、ジョッシュやパカル王も同じだ。

そして思う。やはり直接誰かに会ったり、遺跡を訪れたりすることは、後々にも影響力を及ぼす非常に強力な体験なのだということを。それは、本を通じて想像したり、映像で疑似体験するのとは全く異なる全感覚的な体験なのだ。だからこそ、私は今も、何か感じるものがあれば、できるだけ直接会い、訪れることを心がけているのである。

(*)「365×5=260×7+5」(→365×20=260×7+20)という関係から、20日後の4/12(KIN169)がちょうど訪問20周年となる。20年はドリームスペルでの1カトゥン(365×20=7300キン)である(『13の月の暦・説明書』改訂版参照)。尚、一般的に知られるマヤ長期暦の1カトゥンは7200(360×20)キンで、ドリームスペルのカトゥンより100日短くなる。

(*)4/19,20に「平成最後の満月を祝う特別クラス」を開催します。

太陽の月17日 6・月(KIN149)

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