神秘の四つ組とキトラの四神
京都ワークショップを終えた日の夜、私は京都在住の道友・望月ウィウソン&倫子夫妻と、剣武に関する長時間のミーティングをして1日を終えた。考えてみると、剣武天真流本部正師範はこの日集った3名を含む全5名。ランチで訪れたfiveranという店は、この5名ともシンクロしていたのかもしれない。
関西出張時は、可能な限り1日余分に滞在して、歴史的地層にアースダイビングすることを心がけているのだが、今回は、ちょうどそのタイミング(G7/30=KIN173)に大阪で「失われたチベット人の世界」という講演と記録映画の上映会がある事が分かったので、事前に参加予約し、後は全くのフリーにしたまま当日の朝を迎えた。
講演は15:30から大阪環状線沿線で行われるので、京都から奈良を経由しつつ大阪に向かう事だけをイメージしてチェックアウト。数日前に橿原神宮からの郵便物が届いていたこと、満月のKIN171がちょうど自分達の結婚5200キンのタイミングで、私の両親は皇紀2600年(合計5200年)生まれであること、更に新婚旅行で橿原神宮にも行ったという話を耳にしていたことなどが思い出され、自然と橿原神宮への参拝だけはしようという気持ちになっていた。
橿原神宮、神武天皇陵、橿原考古学研究所辺りを巡ると、大体いい時間になるはずなので、それ以上は特に考えずにいたが、近鉄の中で手帳を眺めていてふと気づいたのは、この日のKIN173が、KIN88(父)、KIN93(母)、KIN168(時間をはずした日)と「神秘の四つ組」の関係になっているという事だった。
「時間をはずした日」に届いた情報誌で『天上の虹』(持統天皇物語)作者の里中満智子さんを目にしていた事も含め、この気づきは「橿原神宮でよし」というサインとして、私の中では受け止められた。近鉄橿原神宮駅構内の44番ロッカーに荷物を預け、まずは神宮へ。
猛暑の月曜という事もあってか、広々とした境内は人もまばらでほぼ貸切状態。まず外拝殿で参拝してから、南神門に戻りつつ写真を撮る。皇紀2678年の「26」「78」は、いずれも「運命の道筋」で自ら「反対のパートナー(130キン離れた関係)」を体験する年齢であるが、そう思って見ると稀有な年巡りである。
おみくじを引く際、何故かはっきり「凶」だと分かって、「どうせ引くなら積極的に」と途中で意識を切り替え、実際に29番「凶」を引く(笑)。「大吉」率の高い私にしては珍しい出来事だったが、まさに直感通りだったことと、その流れを活かして意識を途中で切り替えられた事が嬉しくて、一人喜んでしまった。
海や波といった季節にマッチした言葉で記された内容は、別段悪いものではなかったが、「意識の焦点をちょっと変えてみよう」といういたずら心が湧いて、外拝殿の所でもう一度引いてみると、今度は25番「中吉」。こちらには大空という言葉。2回に共通していた「あわてず待て」を心に留めて2つのおみぐじを結び、神武天皇陵に向かった。
誰もいない参道を歩いて行くと、道にじっと佇んでいた一羽の鳥が陵墓の方に向かって飛び立って行った。ガイドされた気分で陵墓の前に立ち、2礼2拍手1礼にて参拝。瞬間、太陽がカッと強くなったかと思うと、心地よい風が吹き抜けて行った。
近くに止まっていた車を見ると11-26。その瞬間、時計が11:26である事に気づいて慌てて撮影。もちろん、偶然で片付けることも出来るが、私はこういう時「正しい時に、正しい場所にいる」というメッセージだと思って楽しむ事にしている。
橿原考古学研究所附属博物館は月曜で休館。強烈な日差しの中、お昼を食べる場所も見当たらず、ひとまず駅に戻る事に。駅構内で美味しそうなお弁当を見つけ、冷房の効いた待合室でそれを頂きながら、1時間半位で回れる場所を検討。最初は、この日の紋章「空歩く者」に形が似ている益田岩船(最寄りは岡寺駅)に寄る事を考えていたが、上手く巡ればもう少し遠くまで行けそうな気がして、飛鳥駅から天武・持統天皇陵に向かう事も考える。
単線の吉野線は電車の本数が限られているので、レンタサイクルも含めて検討したが、結局、借りたロッカー番号44が飛鳥駅のNoとシンクロする事を路線図で発見して、飛鳥駅から天武・持統天皇陵に行く事に決める。12:34飛鳥に到着し、帰りは13:58の電車に乗れれば、大阪のチベットイベントにギリギリ間に合うことを確認。
だが、駅のロータリーでキトラ古墳の案内を目にして、まだ行った事のないこの古墳に気持ちが引かれる(益田岩船と天武持統天皇陵は以前訪れた事がある)。スマホで調べると、何と期間限定で朱雀図が公開されているらしい。基本、予約が必要だが、定員に達していなければ当日受付もアリと書かれている。
キトラ古墳の場に身を置くだけでいいと思っていたところに、朱雀図が見られるかもしれないという期待が膨らみ、急遽行き先をキトラに変更。だが、バスは1日に数本しかなく次は1時間以上も後。歩きだと片道30分と出るが、色々調べているうちに既に時間は12:50近くなっていて、普通に歩いたら往復するだけで終わってしまう。
タクシーもいたが、片道2キロ弱なら早歩きかジョギングで行けば往復40分、現地に20分は居られるだろう。日差しは強いが、気持ちの良い風も吹いているので、自分の足で移動することに決定。途中の道路標識でキトラへの道が県道210号と分かり、やはり今日はこちらで正解だと感じる。
なぜなら、前日KIN172の京都ワークで最後にシンクロをシェアして驚きの大団円を演出して下さったNさんの誕生キンが、KIN210だったからだ。橿原神宮でもらった小冊子「かしはら」が第172号であった事もその感覚を後押しした。緑の稲穂が風に揺れる風景は、古代から殆ど変わっていないのかもしれない等と思いつつ、炎天下の軽い上り坂をジョギング。思っていたより少し早く13:05頃に到着。
流石にに汗だくになったが、冷房のよく効いた施設は予想通りガラ空きで、入場料もなし。壁画鑑賞は15分区切りで行われているらしく次は13:15から。係の方に聞くと必要な時間は15分くらいとの事。それなら見学後にまたジョギングで戻れば電車にも間に合う!何というタイミングの良さ。
もし開始時間が13:30とかだったら朱雀図の見学を躊躇したと思うが、その場で手続きをして、集合時間までの数分、よくできた展示室を見学。一つ前の組は10人余りいたようだが、13:15の組は私を含めて男性3名のみ。
10分限定で発掘品数点と、今回の目玉である「朱雀図」を至近距離で見られるとの事。混雑時は秒単位でしか見られないであろう図を、様々な角度からじっくり見続けて尚、十分な時間があった。保存室の一部がそのまま展示室に繋がっている構造なので、直に見えるようにはなっていないが、他の四神図もすぐ近くにあるのが分かる。
場の情報をたっぷりダウンロードして10分ぴったりで終了。警備員さんが、これまで季節毎に四神が一つずつ公開され、今回が8回目(つまり2巡目の終わり)であることを教えてくれた(この日の神秘の四つ組を作っている「黄色い星」の紋章コード番号は8)。過去のパンフも自由に持ち帰って良いとの事で、ありがたく頂く。
簡単なアンケートに回答し、もう一度、展示室を巡ってから館外に出て、すぐ近くの古墳が実際にあった丘へと移動。UFOのような形の円墳が綺麗に作り直され公園になっていた。もう少し高い所にある展望台からの眺望も楽しんで、なだらかな下り坂をジョギングして戻ると、駅前の大きな道が国道169(13×13)号であったことが判明!
KIN169から始まった「赤い宇宙の月の年」の5日目に訪れる場所として、飛鳥のキトラ古墳は完璧であったと実感する。この日のサイ時間はKIN20で、私のKIN241とは神秘のパートナー、そして大阪チャクラで迎えた満月のサイ時間はKIN1で、それらと神秘の四つ組を形成する。今回のミニトリップのテーマは「神秘の四つ組と四神」であったと、勝手に納得する。
近鉄とJRを乗り継いで桃谷駅前のネパール料理店シュレスタに到着したのは、講演開始10分前。平日午後の時間帯にも関わらず、予想以上に人が集まっていて殆ど満席だった。司会は何と、大阪チャクラで以前会った事がある登山家の女性。運命の道筋「3・竜」が間も無く終わろうとするタイミングで、高山”龍三”先生による講演を拝聴するのは、それだけで面白いシンクロだったが、映像や映画はさらに興味深いものであった(特に鳥葬の様子をはっきり見せている点には驚いた)。
記録映画の主な撮影地であるドルポの村では、当時、日本の学会では伝承が途絶えていると信じられていたボン教が主流で、雇ったシェルバ達も、自分たちとは逆向きにマニ車を回す人々に出会った事を驚いていたらしい(つまりシェルパもボン教徒に出会ったのは初めてだったという事)。
さらに帰り際には、思いがけず河口慧海のお孫さんにに当たる方にもお会いできて、大満足のうちに終了。シュレスタの住所が往路の新幹線の座席(11号車8)とシンクロする11-8だったり、高山先生がKJ法で有名な川喜田二郎氏の弟子筋に当たる方だと判明したりと色々あったが、やはり慧海に関するシンクロが個人的には最もインパクトがあった。
何故なら、私達がチベット人の子供達への教育支援活動で毎年訪れるネパール・ボダナートの仏塔前には、慧海の記念碑があり、書や暦のクラスでよく利用させてもらう世田谷区施設の目の前にある九品仏浄真寺の境内には、慧海の13回忌に際して門弟・親戚等が建てたという「河口慧海師碑」があったりするからだ(これに気付いたのは割と最近の話だ)。そういえば、この講演会の予約受付番号も13であった事が、現地で参加費を支払う時に分かった。
また、Wikiで慧海について調べると、参考文献の一つとして江本嘉伸著 『西蔵漂泊 チベットに魅せられた十人の日本人』という本が登場するのだが、この江本嘉伸氏は、私がお世話になった江本勝所長のお兄様に当たる方なのである。確かIHM在職中に一度だけお目にかかった事があったと思うが、この日の神秘の4つ組の「時間をはずした日」に、そのIHMが主催する会で講演したばかりという事にも、不思議なご縁を感じた。
桃谷駅の窓口で、時間に余裕を見て取ってもらった新幹線の指定は、のぞみ52号6号者15。1年52週、52年で還暦となる『13の月の暦』の誕生に、多大な影響を与えたマヤのパカル王の石室がパレンケで発見されたのは、G暦1952年6月15日。この日、シンクロに導かれて訪れたキトラは、古代日本で最も精緻な天文図が描かれた石室で有名になった古墳だ。
ちなみに、同じく石室壁画で有名な高松塚古墳への道は県道209号。ドリームスペル旅程盤で「月の創世記」そして「魅惑の緑の中央の城」の始まりとシンクロするKINだ。そう思うと、この日のテーマは「神秘の四つ組と四神&石室」だったと言っても良いのかもしれない。
おまけに書いておくと、橿原神宮で最初に引いたおみくじには「南が良い方角」、次に引いたものには「北西が良い方角」とあった。京都から見て南にある橿原神宮、さらにその南のキトラ古墳を訪れ、その後、そこから北西にある大阪桃谷へと移動したのだから、おみくじの吉方位も、1日の中で完璧に活用されたことになる。
『13の月の暦』に特有の時間圧縮の技術(見方)と、自由に発想する遊び心があれば、おみくじも道路標識も座席番号も、全て聖なるお告げとなるのだ。「時空のサーフィン」とは、こうした一連の情報活用法や発想法、実践的行動を全てひっくるめた行為を指している言葉だと言えるだろう(そのコツについては各地でお伝えしている)。
そのやり方は、こうしてブログやメルマガでどんどん公開しているのだから、自由に発想して遊ぶ感覚さえ忘れなければ、誰でもすぐにサーフィンを楽しめるようになる。そして、遊んでいるうちにリアリティの驚くべき性質に気付き、自然と畏怖の念をもって日々を生きるようになるだろう。地球や大自然と同調してくると、自ずとそういう気持ちになるものだ(D)。
磁気の月14日 13・風
宇宙の風としての台風13号が近づいている日に