チベット医(アムチ)小川さんとの時空を超えた再会

日本人としてはもちろんの事、チベット圏以外の外国人として世界で初めてチベット医(アムチ)となった小川康さんという方がいる。最初に出会ったのは15年以上の前の事で、当時はまだアムチではなかったが、チベットハウスが主催したドクター・ダワの「チベット医学入門」の通訳を勤められていて、終了後に少し話をした事を覚えている。

昔の手帳を調べてみたら、新宿の常圓寺で行われたその講座の日付は2003.2.8(KIN246)で、メモによると、この日、学芸大の先輩に当たる三浦順子さんが翻訳された『チベット医学』という本を、Lが手に入れたらしい。ちなみに、この本は今も我が家の書棚にある。

この講座の前後、小川さんとはもう一つ面白い縁があった。『シンクロニック・ジャーニー』のP127に記してある通り、当時、私たちはチベットサポートグループKIKU代表の久保さんと一緒に支援グッズの企画や販売に携わっていて、色も含めてLがデザインした携帯ストラップの素材をダラムサラに送ったりしていた。

それをダラムサラのお母さん達が手仕事でストラップに仕上げたものを、ちょうど帰国するタイミングだった小川さんにマリアさんが託し、送ってもらった事があったのだ。その時の小川さんの差出人住所が京都だったことをLが覚えていて、後に、それがメンツィカン(チベット医学暦法学研究所)を休学していた頃だったと『僕は日本でたったひとりのチベット医になった』という本の中で知る事になるのだった。

余談だが、この本の参考文献として巻末に記されている『西蔵漂泊』という本の著者・江本嘉伸氏は、『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』の共著者で、私の元ボスだった江本勝氏のご兄弟である。社員時代に会社で1,2度お見かけした事があったかと思う。

時が経ち、小川さんが正式にアムチとなった2009年、私は剣武天真流を学び始めたのだが、何と、ここでも不思議なご縁で小川さんと繋がりが出て来たのだった。現在、共に本部正師範として指導に当たっている丸山貴彦師範と小川さんが、早稲田の大学院で同じゼミに在籍していた関係で、一緒にラダック旅行に行ったりしていた事が判明。

どのタイミングでその事が明らかになったのかは忘れてしまったが、これには私も驚いた。私と丸山師範との縁については、過去記事や『霊性のアート』にも書いて来た通りだが、そこに小川さんも絡んでくるとは全くもって予想外だったからだ。

こんな背景があったので、タシデレさんで小川さんのチベット医学講座が行われるようになってから、いつもチャンスを伺っていたのだが、土日は予定が詰まっているケースがほとんどで、残念ながらこれまで参加が叶わないでいた。

そして、やっと時が巡って来たのが3/23(KIN149)だったのだ。しかも、今回の内容は「古代の身体観、誕生観について」というもので、特に関心のある領域。その身体観、誕生観の背景にはチベット仏教の世界観が横たわっているので、私にとっては実に興味深い内容だった(経過日数が奇数か偶数かで男女の違いが生じるとされる所などには「易」の影響もあるように思われた)。

しかし、私が何よりインパクトを受けたのは、チベット医学聖典『四部医典』(正式名称は『甘露にして精髄なる八支部の秘訣相伝』)を読み上げる時の、小川さんの声やリズムのダイナミックさだった。

目(文字)より耳(音)で覚えたとおっしゃる小川さんの声の迫力は、まさにチベット人のそれで、何とも言えず味わい深い響きがある。一つ一つの言葉の原義や背景となっている仏教思想の解説も大変勉強になり、とても意義深い充実した時間だった。

やはり源泉に飛び込んで行くような人というのは、その生き様が全てに現れていて魅力がある。小川さんは話も上手くていちいち面白いので、チャンスがあれば、是非、生で講演などを聞いてみることをお薦めしたい。上田にある「森のくすり塾」を訪れてみるのも楽しそうである。

他に予定のあったLが、講座終了のタイミングにタシデレにやって来たので、一緒に小川さんに挨拶をして記念撮影(トップ画像)。その後、タシデレで美味しい食事を頂いたことは言うまでもない。(D)

太陽の月20日 9・人(KIN152)

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