パレンケ水晶ネットワーク・アクティベーション

3/14(KIN140)、【マヤの819日暦とその世界観】という記事の予約投稿を済ませてから2時間も経過していない頃だったかと思う。「横浜ナディア」オーナーのゆみこさん(KIN219)から、FB経由で以下のようなメッセージが届いた。

《急遽、明日から家族で行くことになりました。子供の春休みに合わせたので期間は短いのですが、ティオティワカンと、パレンケに行くことになっています。パレンケの石触れさせてもらい、その時の約束が果たされるのかなと思っています。》

その頃、私はパカル王からのサインかと思えるような現象が連日起こっていて、予約投稿した記事のトップ画像にも、20年前のKIN149(1999.4.12)にパレンケを訪れた時に「碑銘の神殿」からを撮影したものを選んでいたので、このタイミングには少なからず驚いた。

何しろ、ゆみこさんファミリーは普段、『ドリームスペル』が生み出された当時、アグエイアス夫妻が住んでいたマウイで生活しているのだ。ホゼは1989.3.12(KIN108)に、パレンケの「碑銘の神殿」でフンバツと共に儀式を行った際、「パカルが持つ情報(知識)が、この惑星上で誰にでも手に入るような形で戻ってくる」というメッセージを受け取っている。

それから1年余り後にマウイで完成したのが、全ての銀河マヤ情報の源泉とも言える『ドリームスペル』である。これだけでも、十分過ぎるほど不思議な縁だと思うが、ことはもっと入り組んでいる。ゆみこさんが書いているパレンケの石というのは、1999年に私が訪れた時に神殿近くで拾ってきた小石(質感はピラミッドのものと同じ)の事なのだが、実はその前があるのだ。

私がパレンケに行くことになった1年くらい前に、L(KIN231)がパレンケの小石を私に手渡しながら「私からその土地の石をもらった人は、いずれそこに行くことになるのよ」というお告げをしたのだ。だから、後にパカル王と同じ誕生キンだと判明する滝元さん(KIN190)からのお誘いでパレンケに行く事になった時は、「本当に予言の通りになった!」と驚いたものだった。自分が計画したのではなく、思いがけず声をかけて頂いての旅だったからだ。

そして、その驚きは今に響く力を持っていた。なぜなら、最初の小石は1996.6.1(KIN144)満月にパレンケを訪れたLから私がもらったもので、その小石を1999年に神殿近くに返した時に改めて私が拾って来た小石に、G6/1生まれのゆみこさんが触れて今回のパレンケ行きが実現したからだ。

ちょうど、ゆみこさんからのメッセージが届いた翌日3/15(KIN141)から2日間は、ナディアでの出張ウォーターセラピーだったのだが、スタッフの皆さんも私と殆ど同じくらいにメキシコ行きの話を聞いたというくらい、急な話だった模様。

そして、ゆみこさんが3/25(KIN151)にマウイに戻った直後、再びメッセージのやりとりをして明らかになったのは、現地時間で3/18(KIN144)〜20(KIN146)がパレンケだったという事。つまり、Lがゆみこさんの太陽暦誕生日にパレンケを訪れてから正確に32銀河スピン(260×32)後に、今度はゆみこさんご本人がパレンケに立っていたのである。

Yaro(KIN239)から届いた写真

パカルの声、ドリームスペルの完成と配布、小石のリレーが重なって実現したこの流れに、個人個人の意志を超えた大いなる働きを感じずにはいられない。しかも、ゆみこさんがマウイに戻った3/25(KIN151)は、『ドリームスペル』日本語版第2刷の配布申込受け開始日だったKIN151(2012.2.8)から、正確に10銀河スピン(2600キン)が経過した日でもあった。加えて、その『ドリームスペル』日本語版の制作世話人はLである。

しかし、これでも話はまだ半分なのだ。実は日本時間で3/25(KIN151)の朝、PANポーランドのYaro(KIN239)から突然メッセージが入ったのだ。「In Lak’ech from the Galactic Maya Commando Base in NaN Chan (Palenque).How are U doing Beautiful Galactic Family? 」と。この後にも色々と書いてあったが、とにかく13年待ってやっと行けたみたいな内容。

マウイに戻ったゆみこさんとのやりとりをしている最中に、Lが、いつからパレンケにいるのかを尋ねつつ、私たちがそれぞれKIN144とKIN149にパレンケを訪れた事も書き添えておいたら、既に2週間以上滞在していてKIN144も149もパレンケだったと返信があった!そしてKIN149にはパカルのために聖なる笛を演奏し、ヌースフィアのための祈りを捧げたとも書いてあった。

何と、ゆみこさん(11・嵐)とYaro(5・嵐)が、同じタイミングでパレンケに居たのだ!もしかしたら、どこかで顔くらい合わせていたかもしれない。全く別な場所に住む友人同士が、約束もせずに同じ場所にいるだけでも驚きだが、双方からの連絡が唐突で、しかも『13の月の暦』を深く理解している人たちであるところに、強力な共時性秩序の働きを感じる。

Yaroとの出会いについては、青木先生がその一人に選ばれた「NY国連での12賢者会議」に合わせて行われた【地球に感謝し、叡智を讃える平和の瞑想】の記事で詳しく触れているが、ポーランドの古都クラクフ(最初の世界遺産”オリジナル12”のひとつ)で会った時、彼が大切にしていた両剣水晶を私にプレゼントしてくれた事が書かれている。

実は、同じような両剣水晶(チベット産水入り)を、私はその4ヶ月ほど前にナディアで手にいれていた。石と水晶のお店であるナディアに20年近く関わっていながら、滅多に石を買うことが無い私が、その両剣水晶を手に入れたのは、何と「青いスペクトルの嵐の年(=KIN219=ゆみこさんの年)」の「水晶の月」の「赤い水晶の蛇の日」(KIN25)であった。

その日、ナディアで行われた暦クラスの参加者に、今日の日付と同じKIN155(青い水晶の鷲)の方がいたことも発見したので、メモしておこう。生涯初の「両剣水晶」を購入したナディアのオーナーと、その数ヶ月後に同じ「両剣水晶」をプレゼントしてくれたポーランドのYaroが、共に「青い嵐」で、同じタイミングに突如パレンケに行ったという事実は、まさに小説よりも奇なりである。

もう一つだけ書いておきたい事がある。グレゴリオ暦に変換した場合のパカル王の生誕1416周年に当たっていた3/24(KIN150)、私はクリカのインスタグラムに、パレンケの「太陽の神殿」の有名なレリーフ(のレプリカ)をUPした。このレリーフ、実は私たちの結婚のお祝いにと、15年ほど前にナディアのゆみこさんから頂いたものなのだ。その年は昨日と同じ「白いスペクトルの魔法使いの年」だったということも、書き添えておこう。

レリーフ裏面の解説文

この水晶ネットワーク・アクティベーションとも言える動きは、間も無く発表される新しい年号ともリンクして、テレパシー的な繋がりを加速度的に促す事になるだろう。新元号(時代)になった直後の5/3(KIN190)にナディアで開催される暦と瞑想のクラスでは、現時点では想像もつかないような面白い展開が待っているかもしれない。

なぜならその日は、パカル王の生誕1988銀河スピン当日でもあるからだ。おそらく、パレンケ、シャスタ、マウイ、伊勢、チベット、クラクフをつなぐ次元間通路が活性化され、銀河マヤの時間の知恵『ドリームスペル(13の月の暦)』を本来の形で活かして行こうとする「地球の魔法使い」達に、パカルからのメッセージが何らかの形で届くのではないだろうか。(D)

太陽の月23日 12・鷲(KIN155)

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