マヤの819日暦とその世界観
今日の「太陽の月9日」を数字で書けば9/9となる。また、サイ時間は今年「赤い宇宙の月の年」とシンクロするKIN169で、169は13×13でもある。そんな事から、今日は819(13×7×9)日周期を数える不思議なマヤ暦について書こうと思う。
このような周期の暦があると知ったのは『古代マヤの暦 予言・天文学・占星術』という小さい本を通じてだった。ページ数も少ない冊子のような本だが、まとめ方が簡潔かつ要点を突いていて、私が重宝している資料の一つである。
特にP37に出ている「古代マヤの暦における太陽系」という模式図は、ツォルキン(260日暦)や819日暦が、太陽系の惑星周期とどのように噛み合っているのかの理解を促してくれる、大変素晴らしい図だと思う。P36にも重要な記述があるので、以下に一部抜粋してみたい。
《天界は13層構造で13人の神、地下世界(冥界)は9層で9人の神が支配していたが、その間にある大地も7層からなり、それぞれに神がいた(アフ・ウウク・チェクナルと呼ばれていた可能性がある)。これらの神々が819日周期(7×9×13)というサイクルを司った。》
《819日周期はパレンケが発祥の地と考えられている。この数は、木星の会合周期(21×19日)、土星の会合周期(21×18日)と同様に、21を約数として持っている(21×13×3=819)。》
ちょうど21銀河スピン(21×260日)前のKIN141(11・竜)に、伊勢内宮の奥にあるご神域「高麗広」の公民館で、ホゼが本人史上最高と自賛した講演が行われた事が、今のタイミングに響いて来て、この本への注目を促したのかもしれない。尚、高麗広での事は、『シンクロニック・ジャーニー』や【カトマンズで伊勢「高麗広」の番人に出会う】に記した通りである。
ちなみに、このブログは、実際には前日の「太陽の月8日(G3/14)」に書いていて、サイ時間はKIN167(11・手)だったが、本書『古代マヤの暦』の発行日も2009.4.20(KIN167)だったと判明。
これは、「碑銘の神殿」が完成して封印された(ホゼの説)というマヤ長期暦 9.13.0.0.0(=692.3.16)をドリームスペル・ツォルキンに変換した時の日付KIN167と一致するだけでなく、『霊性のアート』に書いた通り、世界の先住民から選ばれた「13人のグランマザー」に偶然出会った日のキンでもある(2012.11.11)。
さて、せっかくなので、819日暦について書かれている一般書を、もう一冊紹介しておきたい。『マヤのリズム』執筆時に大変お世話になった、八杉佳穂先生のご著書『マヤ文字を解く』である。こちらからも、関連部分を一部抜粋してみよう。
《八一九は、十三の天の神、九の地下世界の神、七の地上の神の周期の各々が出会う数(13×9×7=819)であるばかりでなく、九と九十一日がふたたび巡って来る日を示す、宗教的に意義ある数と考えられる》
《八一九日暦は、古典期マヤの碑文で、絵文書とおなじ方位と色の関係を記した最初の例である。》
《八一九日暦は、パレンケで発明され、そこからヤシュチランに伝わり、ついでコパンやキリグアに広まった》
819日暦がパレンケ発祥だという事に注目したい。また、方位と色の関係が、現代に伝わる絵文書だけでなく、碑文にも記されていたことを改めて認識する機会となった。色と方位の関係を見れば、それが古代マヤ暦の情報なのか、それとは別な意図で再構成されたドリームスペル(13の月の暦)の情報なのかは、簡単に分かる。西が黒なら古代マヤ、青ならドリームスペルだ(青を使ってマヤ暦と言っているものは日本人が創作した偽マヤ暦である)。
興味深いのは、819日も260日も、そのままでは具体的に対応する星の動きはなく、各惑星との会合周期や食の周期と関連して導かれる間接的な周期であり、同時に、マヤの宗教観、世界観と関わっている重要な数の積からなる周期だという事だ。この辺りの発想は、日付の意味よりも数と周期というエッセンスに着目したドリームスペルにも受け継がれている。
最後に、この『マヤ文字を解く』の奥付情報を記録しておきたい。昭和57年3月15日印刷、3月25日発行となっている。KIN3Dで調べれば、KIN156(13・戦士)印刷、KIN166(10・世界の橋渡し)発行となる。
ちょうど、37年前の今日印刷された事を初めて知ったのも驚きだが、KIN166発刊というのが更に驚きである。何故なら、それは間も無く天皇に即位される皇太子殿下の誕生キンであり、前書きに八杉先生のお名前を書かせていただいた『マヤのリズム』の発刊キンでもあるからだ。(D)
太陽の月9日 11・竜(KIN141)
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