マヤ長期暦 9.13.0.0.0(KIN37)

おせっかいなFBが、2年前の今日(2016.3.16)に【パレンケ1320年のテルマ】というブログをタイムラインにシェアした事を知らせてくれた。

ブログ自体は2012年に書いたもので、後に内容を少し整理して、江本勝所長との共著『銀河のマヤ、聖なる時の秘密』に掲載したのだが、ベースになったのは2012.3.16(KIN187)、つまり6年前の今日体験した出来事だった。

詳細は上記各所に譲るとして、その日に発見した要点を以下に記しておこう。

(1)マヤ長期暦9.13.0.0.0をグレゴリオ暦に仮想的に変換すると692.3.16となる。
(2)正確に1320年後の同じ日(2012.3.16)にパレンケ旅行のスケッチを発見。
(3)パカルの誕生日はG暦に仮想的に計算すると603.3.24 となる。
(4)これをマヤ長期暦に変換すると「9.8.9.13.0 8アハウ 13ポプ」で石棺と整合する。
(5)同じ日を『13の月の暦』で計算するとKIN190(8・犬)となる。

本を書くに当たっては、流石にいくつかの異なる手法と資料で計算したが、今は、KIN3D(13の月の暦)とMAYA3D(マヤ暦)を使えば(いずれも無料のiOSアプリ)、誰でも簡単に検証することができる。

一方で、今日は『13の月の暦』のツォルキンだとKIN37(11・地球)になる。ホゼが『マヤン・ファクター テクノロジーを超えた道』(VOICE)を捧げた師チョッギャム・トゥルンパ・リンポチェ(KIN37)の誕生111銀河スピンに当たる。

ちなみに、1999年にパレンケに一緒に行ったのは、その『マヤン・ファクター』(VOICE)の監訳者で、KIN190の滝元さんだった。滝元さんがパカル王と同じ誕生キンだと分かったのは、上記の通り13年後の2012年になってからの事。

ホゼによれば、パレンケの「碑銘の神殿」はマヤ長期暦 9.13.0.0.0、つまり今日から1326(13×102)年前に完成したという事になっている(史実としてはいつ完成したのか私の調べでは現時点で不明)。1260年後の1952年に墓室が開封され、1320年後の2012年に大周期の終わりが巡って来る事から、この神殿自体が「時間の法則」に関するテルマ(埋蔵経典)だとホゼは考えていた。

だとすると、自分にとって然るべきタイミングで物事が判明するのも、ある意味、小さな「テルマ」と言えるのかもしれない。そして、まさにそのテルマをテーマにした『テレクトノン』では、今日「太陽の月10日」が、マヤのバクトゥンに対応する。

カードには「パカル・ヴォタンは、パレンケに現れ、テレクトノンの預言を残す」「チベットのパドマサンバヴァ」とある。パレンケとチベット仏教の師、まことに今日にふさわしい内容である。(D)

太陽の月10日/KIN37 赤いスペクトルの地球