三十一文字を生み出す5と7の秘密
磁気の月18日(G8/12)、ついに半世紀目となる誕生日が巡って来た。30代に突入した時「いつの間に!」と驚いていたのがついこの前のような気がするのだから、ふと気づくと50というのは、やはり驚異だ。イタリアを訪れた時に「キング・クリムゾン」(時間を吹っ飛ばすスタンド)の攻撃でもくらったのだろうか?などと妄想してしまう。
50になって特に何かが変わったような印象はない。せいぜい「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」という敦盛の一節(本来は天界と比した時の短さを示す)を実感できる年になったというくらいだ。ただ、どんなに健康と長寿に恵まれるとしても、数字的に人生の折り返し地点を超えたと感じられる所が、これまでと違う点かもしれない。
40代最後の1日は「山の日」で、剣武天真流の本部稽古があった。湿度が高く蒸し暑い日でも、稽古後は心身が爽快な感じになるのが剣武の素晴らしいところ。今、まさに9/15の演武会「大剣祓い」に向けた練修を重ねている所なので、心身をしなやかにするこの新しい剣の道に関心のある方は、ぜひ当日観に来ていただければと思う。
その日、寝る前に行なった短い瞑想の中で、「三十一文字(みそひともじ)」という言葉が浮かんで(聞こえて)来た。翌日から「運命の道筋」がKIN31(5・猿)に入る事をどこかで意識していたからだと思うが、誕生キンがKIN241(7・竜)であることも考え合わせると、このサインにはなかなか深いものがあると気づいた。
三十一字でつづる和歌(短歌)は「五七五七七」というように、「5」と「7」の句から成り、この5と7が織りなす比は、そのままツォルキンと太陽暦の比である260:364にも繋がるからだ。ちなみに、260日は52倍音色彩(5日単位)で、364日は52週間(7日単位)である。
マヤに先行するサポテカ文明の頃(BC550前後)からメソアメリカで使われて来た2つの暦、260日暦と365日暦が、ほぼ5:7の比を持っていることと、和歌の中に5と7のリズムがある事に、直接的な繋がりは無いと思う。しかし、だからこそ、この比の中に人の心身に訴える何か普遍的な性質があるのでは無いかとも思うのである。
地球の公転周期365日は73×5、金星会合周期584日は73×8で、その会合ポイントを地球公転軌道上にプロットして行くと1周と3/5となり、地球が8公転する間に五芒星を描く事になる。惑星の公転は天の北極から見て左回りなので、その会合ポイントをひと筆描きで結ぼうとすると、右回りで1周と2/5のポイントを結ぶ事になる。
つまり、周期そのものとしては、地球公転が5(73日単位が5つ分)、金星会合が8(73日単位が8つ分)なのだが、そのポイントをひと筆きで結ぶ時には、見かけ上5:7(=5+2)のポイントを結んで行くようにも見えるのである。もしかしたら、5:7の中には金星の動きが関与していて、サポテカではそれを何らかの形で反映する意図で260と365という暦を併用するようになったのかもしれない。
こんな事を思いついたのは、【五芒星(☆)ひと筆書きの多様性】に書いた通り、その描き方についての驚きの発見があったからだ。車輪やプロペラの回転数が上がると、巡っているものが逆転して巡っているように見えて来る瞬間があるが、何かそういう事とも絡んでいるような気がしてならないのだ。
ところで、和歌のはじまりは、スサノオが詠んだ以下の歌がはじまりだという伝説がある。
《やくもたつ いづもやへがき つまごみに やへがきつくる そのやへがきを》
八雲、八重垣で「8」が4回登場するので、合計でその数は32になる。三十一文字から始まった気づきをメモするのには、ちょうどKIN32の今日が相応しかったようだ。他者から見ればこじつけ的に見えるような捉え方でも、自分がそう思えるかどうかが重要なのだ。暦の使用を通じて、意識と時間とリアリティの関係を長年観察して来て、つくづくそう思う。
おまけで書いておくと、今日の「サイ時間」は、今年1年とシンクロするKIN14(1・魔法使い)だ。これをどう捉えるかは、皆さん次第である。トップ画像は皇居東御苑の雑木林。ここについては、また明日にでも。(D)
磁気の月19日 6・人(KIN32)
追記:もともと50歳は70銀河スピンと50日、つまり「50×365=70×260+50」を書こうとおもっていたのに、その事をすっかり忘れてしまったので追記(笑)。
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