夢やリアリティの生成プロセスについて
『ドリームスペル(13の月の暦)』提唱者の一人・ロイディーンは「スペクトルの月14日(5/15)」に生まれ、71年後の「スペクトルの月15日(5/16)」にこの世を去って銀河に帰還した。
その5/16(KIN203)の朝に見た夢を通じて、私は自分が「銀河の母」と呼んでいたロイディーンの71年の生涯は、一夜の夢だったのかもしれないという感覚を、覚えずにはいられなかった。それは、彼女のお母様の名前がマヤだったことも関係している。なぜなら、サンスクリット語での「マーヤー」は「幻影」を意味し、銀河マヤの時間の知恵である『ドリームスペル』は、このリアリティ自体が巨大で集合的な夢である事を示唆しているからだ。
「青い銀河の夜(KIN0203)」に見た夢は、夢ならではの支離滅裂さがあったが、背景となった要素のひとつひとつに思い当たるふしがあるのが何とも面白かった。目覚めた後にはっきりと覚えていたシーンは、以下のようなものだった。
マンションの10階くらいにある部屋の窓を、風が入るよう少しだけ開けてから出かけようとするも、何故かその幅だと自動的に窓が閉まってしまうし、それよりも開けすぎると風が入り過ぎるしと思って微調整していたら、網戸とサッシのところに煮干しくらいの大きさの小魚が数匹いるのが目についた。よく見ると、まだ半分生きていて口をパクパクさせている。「何でこんな所に?竜巻か何かで運ばれて来たのか?」などと思っているところで目が覚めた。
ヘンテコな夢だったなと思いつつ、暫くすると全ての要素が最近あった出来事と密接に結びついている事に気付いた。10階位のマンションというのは、前夜、『マヤのリズム』の版元である中央アート出版社の住所がかつて1-11-4であった事をメモした時、関西で一時住んでいたマンションの部屋が1104号室という11階の部屋だったのを思い出していた事と、おそらく関係している。
魚は、「時のからだ塾」のメーリングリストで最近話題に出ていた「空から魚が降ってくる話」そのまま、そして、窓が自動的に閉まるのは、前夜シャンバラ教室で使っていた稽古会場の倉庫の扉と同じ動きだった。スライドするタイプのその扉は、何かで支えておかないと、自然と閉まるような設計になっていたのだ。
夢のうちの全てではないが、一定の比率の夢は、自分が体験した事、考えていた事の無意識的統合プロセスとして展開する事を、ここ最近はっきり自覚できるケースが多い。無自覚だった「夢の生成プロセス」に気づけるようになって来た事と、ドリームスペル(13の月の暦)の使用は深く関係しているように思える。
例えば、今回の夢は、自分では思いつかないような奇妙な話だと夢の中で思っていた訳だが、意識のチャンネルが切り替わって目覚めた後には、素材となる体験が既にあった事を、ほとんど間を置かずに思い出せたのである。つまり、異なる意識の状態に自在に移行できるようになると、体験の種がどこにあるのかが分かるようになるのである。
これは、ドリームスペル(13の月の暦)を使っていると頻繁に体験する現象の一つだ。普段、覚醒していると思っている意識状態で体験する出来事を、後から検証できるよう記録に残しておき、それを、異なる周期(文脈)で自在に読み取れるようになって来ると、驚くべきシンクロ体験や不思議現象が、どういうプロセスで生成して来るのかが垣間見られるようになる。
もちろん、全てが分かる訳ではない。だが、世界や意識の成り立ちに関しての重要なヒントが、これらの体験に包含されているのを、私は感じるのだ。夢が一種の統合体験であるように、このリアリティも一種の集合的統合体験として起ち現れている可能性があるという事だ。
少なくとも、そういう視点や意識を切り替える機会を持たない限りは、諸々の体験はバラバラに散在しているままであろう。違う意識状態に切り替わるところに鍵がある。そして、異なる意識状態は異なる周期と関係がある。だから、いつも一定の見方しかしていない(同じ周期の中に閉じ込められている)者には、この感覚をつかむのが難しいのだ。
何でこんなに夢の話を(それも構造とか成り立ちについて)書いているのかも、これら一連のメモを記録した日が「青い銀河の夜」で、キーワードが「豊かさを夢見る、直観」「無欠性を調和させる、型どる」だという事を、長年のドリームスペル(13の月の暦)使用の影響で、無意識的に自覚していたからなのかもしれない。
グレゴリオ暦とは違う暦を意識する、という行為の中には、非常に奥深い意味と、新たな体験の種があるのだ。(D)
スペクトルの月27日 7・鷲(KIN215)
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