小野道風の勅書を臨書する
早いもので、私(D)が天真書法塾に入塾してからもう15年になる。今は師範科に在籍しながら、月1回、青木天外塾長、吉田随流副塾長、そして師範科の皆さん(全員師範の方)に鍛えて頂いている。師範科の稽古では、毎回、臨書と自由書(漢詩や和歌が指定される)の課題が出され、それを前に張り出しては、お互いに厳しく批評し合うというスタイル。
ここ何ヶ月かは、小野道風の「智証大師諡号勅書」が臨書課題だったのだが、ちょうどこの課題が始まったのとシンクロして国立博物館で「顔真卿展」が行われ、そこに「智証大師諡号勅書」も出ていたので、真筆を目に焼き付けて臨書に取り組む事が出来た。
もちろん、この作品はネットでも書籍でも見る事はできるし、臨書自体そういう資料を用いて行うのだが、やはり真筆を目にした上で資料を見るのと、最初から資料だけを見ているのとでは大きな違いがある。そう思って可能な限り真筆の展示は見に行くようにして来たが、今回は臨書している課題がそのまま出ていた関係で、その思いをより強くする事になった。
さて、ここで問題。トップ画像は、先の師範科授業のひとコマで、その「智証大師諡号勅書」の臨書を3人分並べたものである。私のものの他に、本田虹風師範、小原蘭禅師範が臨書したものがあるので、どれが誰の臨書であるか、クイズと思って当ててみて欲しい。正解者には、何か楽しい事が起こるかもしれない(笑)。
こうしてみると、同じお手本を臨書しても、一人一人結構違う仕上がりになっているのが分かる。やはりそれぞれ特徴的な筆使いだとか性格みたいもの、あるいは書いている時の気分や体調、意識の状態みたいなものが、そのまま出てしまうのだろう。人が毛筆で書くことの面白さは、そこにあるとも言える。(D)
スペクトルの月16日 9・種(KIN204)
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