心が生み出す体と場の変化

昨日、5/12(KIN199)に行われた剣武天真流本部の稽古で体験したことをメモしておきたい。私自身、本部正師範として指導をさせていただきながら、多くの事を学ばせていただいているのだが、青木宗家が直接ご指導下さる日は、特に多様な学びがあって、驚きの体験をする事が多い。

昨日も色々あったのだが、その内の二つは特に印象的だったので、自分用のメモとして残しておこうと思う。一つ目は、私が出した突きに対して、先生が軽く飛び上がりつつ突きを出した私の腕に手を添えてフワリと躱しつつ私の背後に着地するというもの。何のデモなのか分からずにただ促されて出した突きだったという点を差し引いても、その軽さと柔らかさ、そして突然いなくなるような印象には新鮮な驚きがあった。

加えて、そのデモンストレーション自体が号令になっていて、それまでとそれ以降とで、その場にいた参加者全員のジャンプの仕方と着地音が変わってしまったのにも大いに驚かされた。その時点まで掛けていた自分の号令の未熟さを実感する瞬間でもあったが、そう自覚したのなら、出来るように工夫を重ね、色々とやってみるしかない。

もう一つは、青木先生が14年かけて検証して来られた事の仕上げの確認をされている段階の稽古についてのものなので、その詳細を書くことは控えるが、ある手順で心身をほぐした後、5つの異なる意識で組手をするというのが基本内容。同じ組手を、異なる意識で行うだけで、力の伝わり方から体の状態、お互いの関係性もがすっかり変わってしまうのだ。

3日前の天真書法塾師範科クラスでは、自分も組手を実際に行う立場でその違いを味わっていたのだが、昨日は、組手をしているメンバーを見回りながら、道場全体の感じを体で味わっていた。はっきりしたのは、自分が組手を直接やっていなくても、組手の質の違いが場を通じて体感できるという事だった。

私の中では、特に2番目から3番目への変化が最も明瞭で、一気に熱量がUPする感覚があった。これは宗家が指導して下さっていた稽古の中だけでなく、後半、私の号令で全員が刀を持って行った稽古でも共通していたので、何か私にとってキャッチし易い変化がそこにあるのだろう。

見かけ上は同じことをやっていても、どういう意識や想いを抱いて行っているかで、全く違ったものになるという事が、道場全体の「場」の変化としても分かるというのは驚きである。しかし、同時にそれは、当たり前のことであるとも思える。何故なら、私たちは普段から、そういった非言語的なコミュニケーションをしているからだ。それを明瞭に体感できるようにする手続きが、この稽古の中にあるという事だ。

それにしても、最も身近な自然としての体を通じた探求は、果てしなく深く、そして面白い。自らの心身を、スマホを始めとする機器に合わせてマシーンのように扱って行けばマシーンのようにもなるし、大自然そのものとして扱って行けば大自然のようにもなる。無意識にまで浸透している様々なフレームを外す事ができれば、体が映し出す世界は無限に広がるだろう。

天真体道は、そういう事を体を通じて体感しながら学んで行ける道なのである。興味が湧いた方は、『「天地人々ワレ一体」宇宙ととけあう究極の心法』を手にしてみていただきたい。もし、通える範囲に道場があるのなら、剣武体技瞑想を直接体験してみることもおすすめしたい。(D)

スペクトルの月12日 5・太陽(KIN200)

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