神武天皇と繋がるもう一つの「13重の塔の預言」

G3/16(KIN247)は【マヤ長期暦9.13.0.0.0から1328年】というタイミングだった。その前夜、FBの公開グループ「13の月の暦」水晶の円卓で、ベテランユーザーのOさん(KIN33)が、走行距離が132,8Kmになったという車のパネル写真をシェアしていた。

「G暦3/6にお家についたらこの表示でうれしかったっていまごろ?」というコメントも添えられていたので、Oさんは「9.13.0.0.0から1328周年」については知らずに、それをテレパシー的にキャッチして投稿されたのだと私は理解した。「13ヶ月28日」の意味で注目したものだったにしても、「いまごろ?」という所にタイミングの妙が示されている。

それを面白いと思った私は「今頃で完璧なタイミングであった事が明日には分かります!」とコメントした。そこからのやり取りで、幾つかの気づきと発見があったので、それをメモしておきたい。

上記コメントに対して、Oさんが「1328年前の西暦692年とは持統天皇の6年皇紀1352だそうです」と返信を下さった。これは私にとって新しい発見であり、同時に、ある事を思い出させてくれるきっかけとなった。

ホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻が「時間の法則に関する世界会議」で来日した1997年は、645から1352年後というタイミングに当たっていた。「大化の改新」に直結する談山神社を訪れた夫妻は、そこにある「十三重の塔」の一段が104年に相当し、十三段で1352年になるという見方を「多武峯の13重の塔の預言」という資料として残している。

時空の海を行くようなこの亀さんのイラストは、「13の月の暦・説明書」の表紙として使われてきたもの。

ちなみに、『13の月の暦・説明書 〜「13の月の暦」で銀河時間の流れに乗る〜』(ホゼ&ロイディーン・アグエイアス著)には、104年という周期に対して「アルクトゥリアン・コーラス」あるいは「銀河オクターブ」という周期名がある事が記されている。

一方、692年(持統6年)が皇紀1352年に当たっていたというのは、私にとって新鮮な情報だった。確かに、皇紀はBC660年が紀元だから「660+692=1352」となる。この1352年は、「多武峯の13重の塔」が示す1352年と47(=52-5)年だけ重なる「もう一つの「13重の塔」と言える。

52年のカレンダーラウンド26回分(1352=52×26)でもある2つの「13重の時間の塔」が、52年より5年短い47年の期間だけ重なるという関係性は、「時間の埋蔵経典(テルマ)」であるパレンケの「碑銘の神殿」の完成と、神武天皇の即位、そして伊勢の式年遷宮の始まり(外宮は692年から)とも繋がる、大変興味深いシンクロである。

『日本書紀』の記述を参考に紀元をBC660年に定めたのは明治になってからの話だが、その皇紀紀元(BC660年)は、神武天皇が橿原の地で即位した年で、その時、天皇は52歳だったという事になっている。これが神話的な話であろうと史実であろうと、「52」という数字が登場するところに驚きがある。なぜなら、これはBC550年頃から中米エリアで使われ始め、マヤに継承された基本周期だからだ(260日暦と365日暦が生む還暦が52年)。せっかくなので関係を整理しておこう。

BC660「皇紀紀元、神武天皇52歳で即位」〜1352〜AD692「伊勢外宮最初の遷宮、碑銘の神殿完成&墓室の封印」
AD645「大化の改新、パカル王即位30年」〜1352〜AD1997「時間の法則の世界会議、時間の法則の20の銘板開始」

伊勢の外宮で最初の遷宮が行われたのが692年(内宮は690年)という事については『シンクロニック・ジャーニー』にも書いた記憶があったので、念のためそれを確認しようと、「犬の季節(65日)」の始まりに当たっていたKIN250(3/19)に、本を引っ張り出してきてパッと開いてみた。

すると、1ページの狂いもなく、まさにその事が書いてあるP58を開いてしまった!KIN58(6・鏡)は古代マヤ暦でのパカル王の死の日付であり、そのP58には、9.13.0.0.0に完成したとされる「碑銘の神殿」の写真まで掲載されていた。G3/19は「太陽(9)の月13日」で数字的にG暦と鏡関係(3/19=9/13)になる日。

そもそも、この話は9.13.0.0.0から始まった話であり、マヤ神話において「9」は冥界を、「13」は天界を示す重要な数字。9月13日は、この9.13.0.0.0に直結する数であるだけでなく、皇紀2600年生まれの地球の父のG暦誕生日でもある(母はその5日後の生まれ)。

神武天皇陵への道

直近で橿原神宮と神武天皇陵に参拝したのが2018.7.30(KIN173)で、その神秘の四つ組に、父(KIN88)と母(KIN93)、そしてパカル王のドリームスペル(13の月の暦)ツォルキンでの死の日付(KIN168)が含まれていた事を思い出す。詳細は【神秘の四つ組とキトラの四神】および【パカル王の石棺に刻まれた生と死の日付】に記してあるので、さらにディープな時空のサーフィンにどっパマってみたい方は、リンク先に飛んでみて欲しい。

ところで、「探している所を一発で見つける」という私の得意技について、かつてブログに書いた事があったはずと検索してみると【「キングフィッシャー」一撃で目指す情報に到る技】という記事が見つかった。その記事が書かれたのはKIN50(11・犬)で、何と、神武天皇の皇后・媛蹈鞴五十鈴媛(ヒメタタライスズヒメ)や伊勢の五十鈴川とシンクロする数だった。

加えて、本を開いたKIN250(3・犬)のぴったり200日前で、KIN250から始まる「時の輪」で見れば、「白い銀河の季節」の「磁気の門」と「宇宙の門」に当たる(極性キン♢の)関係性になっていることが、【「銀河の季節」と「極性キン」】を参照すると分かるだろう。ちなみに、パカル王の「13の月の暦」誕生キンはKIN190(8・犬)だ。

軽くメモするつもりが、随分とこみ入った話になって来てしまったので、最後にこの体験とリンクする二つの情報を引用して、この項を終えたいと思う。まずは、『甦るマヤの預言 新しい時間の発見』(ホゼ&ロイディーン・アグエイアス著)より、1989年にパレンケで儀式を行った際に、ホゼがパカル王から受け取ったテレパシーから。

”パカル・ヴォタンは私のところにやってきて、彼自身が戻ってくるといったよ。あるいは、彼の知識が戻ってくるということだったのかもしれない。彼の持つ情報がこの惑星地球上で、誰にでも手に入るような形で戻ってくる。たとえその人がパレンケという場所のことも知らず、その名前を聞いたことのない人でもね。”

この「彼の知識」「彼の持つ情報」こそが『13の月の暦(ドリームスペル)』なのだ。一方、橿原神宮の公式サイトには、以下のように創建についての背景が記されている。

”天照大神の血を引く神倭伊波禮毘古命(後の神武天皇)が、豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かい、想像を絶する苦難を乗り越え、畝傍山うねびやまの東南の麓に橿原宮を創建されました。”

今年の夏至に大分で行われる「13の月の暦”夏至”講演会」(PAN大分主催)に合わせて、今生初めて高千穂を訪れる予定がある私にとって、この一連のシンクロ、特に「13重の塔の預言」の想起は、非常に多くのインスピレーションを受け取る機会となった。きっかけとなるシェアを「水晶の円卓」にして下さったOさんに感謝したい。(D)

太陽の月16日 6・空歩く者(KIN253)

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