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赤い磁気の月の年(2006.7.26 - 2007.7.25)

■宇宙の月3日(G6/29)  KIN27  青い磁気の手「ハトシェプスト・リターンズ!」 (by L)

ルクソールで、1903年に発掘されたミイラが、DNA鑑定の結果、ハトシェプスト(古代エジプト第18王朝5代目の女性ファラオ)のものだと確認されたという。そのニュースを知った瞬間、一気に10年ほど前に引き戻されてしまった。

10年ほど前、ハトシェプスト葬祭殿で起きたテロ(ルクソール事件)の翌々日、私はその現場である王家の谷にいた。エジプトを旅行中だったのだ。事件当日は、アスワンからルクソールに向かうナイルクルーズ船に乗っていたので、事件の詳細はわからなかった。エジプトは、観光業に関しては大変にシステマティックで、無数にあるナイルクルーズの乗客向けに、ほぼ同じ流れの遺跡観光スケジュールが組まれている。事件が2日遅く起こっていれば、私は間違いなくルクソール事件に巻き込まれていただろう。

王家の谷に行ってみて一番驚いたのは、事件のわずか2日後であるのにもかかわらず、ハトシェプスト葬祭殿が平常通り公開されていた事だ。現場の様子も、まるで何事も無かったかの様に整備されていた。ただ、入り口付近にひっそり手向けられた白い花束だけが、事件のリアリティーを感じさせた。

一方、ナイル河対岸のルクソールの街は、シーン・・・と静まり返っていた。各国の(特に日本からのツアーの)観光客は事件直後に全て引き上げてしまったという。タクシーに乗り、私が日本人だとわかると、「We are so sorry...」の言葉しかドライバーからは出て来ない。普段は陽気(過ぎる)なエジプシャン。泣き顔だらけの彼らを見るのは初めてだった。ナイル河沿いの無数の街灯には、それとは対称的に、その年の観光キャッチフレーズだったのであろう「Smile. You are in Luxor.」と書かれたのぼりが延々と旗めいていた。

私は、アクナトンやツタンカーメンのいた第18王朝がとても好きだ。中でも、ハトシェプスト女王の治世22年間は、古代エジプト史上において、唯一戦争の無い平和な時代であったという。今回確認されたミイラは、発掘以来、誰のミイラか確定できず、あまり大切に扱われもしなかった(名無しのミイラはエジプトにゴロゴロしてるので)らしい。しかし、104(52×2)年という時を経て、ハトシェプストという名前が現実の世界に還って来た事は、私には、何かそれが、これからの平和な世の中の実現のために、眼に見えない作用があるかもしれない、とか、平和の力が呼び戻されたのかもしれない、という希望にも思える。そして、これから来る人達に、Smile ! You are on the Earth ! くらいのことは誇らしく言っちゃいたいね、と現役地球人としては思うのである。

■宇宙の月4日(G6/30)  KIN28  黄色い月の星「星の巡り合わせ」 (by D)

「13の月の暦」で生活していると、20日というサイクルが自然と意識されるようになって来る。20種類ある「太陽の紋章」という絵文字が、同じものになる周期だからだ。従って、20日前も今日と同じ「星」の日だった事になる。これにかこつけて、書きそびれていたその日のシンクロについて少し触れておこう。KIN8(G6/10)は、横浜ナディアで暦のレクチャーと新体道のワークを行っていた。ちょうど、こよみ屋さんによる来年度のカレンダー類が完成したという事もあって、会場となるシャスタ(お店と少し離れたマンションの一室)は、ガイド役の私を含めて20名という、スペース一杯の参加者で埋め尽くされていた。
 
誕生KINを導く方法を解説する時は、立候補制で例題になってくれる人を募るのだが、年齢が知られる点が毛嫌いされるのか、これ位の参加者がいる時でも、不思議と1,2名しか立候補はしない。しかし、その人達は、実は大いに得をする。毎回思うのだが、私の印象としては、「時に選ばれた人」という感じなのだ。この日、立候補して下さったIさんも、ご自分の動きとサイクルが見事に一致しているのを実感されたようだったし、私の側から見ても面白い繋がりが何重にも見えて、大変興味深かった。
 
「11・星」が誕生KINだったIさんは、この日の紋章ともシンクロしていたし、ぴったり1週間前のKIN1に会った、ニコタマの超お薦めイタリアン「エテルニータ(永遠)」の達人シェフの誕生KINとも完全に一致していた(この時初めて誕生日を聞いて判明したばかり)。そういえば、そのさらに4日前にも、同じ店にスリランカから来た友人(KIN260の日記参照)とランチに行ったのだが、そのうちの一人、レイコちゃんの誕生KINが、このナディアでの勉強会の日付と同じ「8・星」なのであった。ちょっと複雑になってしまったが、星が永遠の輪で繋がっているとでもイメージして頂ければと思う。マニアな見方をすれば他にもまだまだあるが、この辺までにしておこう。
 
もう一つ思い出したのが、当日、家を出る前に、mixiの「13の月の暦」のコミュニティを覗いていて、ふと気になった記事(渋谷HMVにもカレンダーが置いてあるという内容)に登場していたご本人が、テーマ別のクラスにいらした事だ。そのコミュニティの参加者は7000人以上もいるし、少なくとも私は、そのコミュの記事でこの方の事を目にしたのは、当日が初めてだったのだから、やはり驚かずにはいられなかった。だが、この日のシンクロはまだ続いた。
 
部屋の時計が止まっているのに気付かず、新体道のワークを予定より大幅に遅れて終え、お店の方に戻ると、そこにフラりと現れた女性は、10年前にハワイ島のジョーン・オーシャンがガイドするドルフィンスイムでご一緒したBさんだった(ツアーの直後にどこかでバッタリ会った覚えがあるがどちらにしても10年ぶり)。実家が近所だった事などを思い出して僅かな時間言葉を交わしたが、後からもっと面白い事に気付いてしまった。実は、その時、チベット服の下に着ていたTシャツは、ジョーンの主宰するドルフィン・コネクション製のもの(イルカのデザイン)で、10年前のその時に購入した(これは流石にボロボロになって捨てた)のと全く同じものを、ナディアで2年前位に見つけて(ハワイで仕入れたと聞いた)手に入れたものだったのだ!

365日の暦と260日の暦は、5年で5日ズレ、10年で10日ズレの関係になるのだが(5の倍数のみ)、それから見てもだいたい同じような巡りの時に再会した事になる。10年前は、ちょうど「時間の法則に関する世界会議」が行われ、ハワイからの帰国直後に、初めてホゼ&ロイディーンに直接対面した(そしてLとも会った)年でもある。という事は、20年経つと20日ズレる訳だが、ハーモニック・コンバージェンスがあり、パレンケが世界遺産に認められた年でもある1987年に立てられた、ニコタマのドッグウッドプラザが、何と明日で約20年(カトゥン)の輪を閉じ、閉鎖されてしまうのだ!
 
中庭に立派なオリーブの木があり、私のお気に入りの屋外書斎の一つでもあったので、残念な事この上ないが、今日はそこにある「桃園香点心舗」(ここも重宝していた)でラストランチを頂いて、名残惜しい時間を過してきた。また異なる時空間で再会できる事を祈りつつ、お世話になった場所と人々、そして沢山の緑に感謝した。ちょうど、今から20日後の「9・星」の頃には、ここで校正も行った『シンクロニック・ジャーニー』が書店に並ぶ(既にクロネコブックサービスなどでは予約が可能)。「年内に入手すると何かいい事があるらしい」というウワサが、まことしやかに囁かれているが、本当かどうかは、是非実際に試してみて頂きたい(笑)。年明け早々に予定されている東京と大阪の特別セミナーも、既に完全なタイミングと場所でセットされているので(大阪についてはこちら、東京は近々発表予定)、その時空に招待された方だけが集う事になっているはずだ。というか、人が集う時はいつだって、そうなっているものなのだ。

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