2002年10月、ヨーロッパで3度目となるカーラチャクラが、オーストリア第2の都市グラーツで開かれました。通貨統合後初のヨーロッパでの開催に加 え、インターネットによる世界同時中継、公共機関(グラーツ市)主催の開催形態など、カーラチャクラの歴史に新たな1ページが加えられるのを目撃した11 日間でした。
◆世界遺産の街
中世の面影を色濃く残すグラーツ。その美しい街並みは、キリスト教への篤い信仰の歴史を物語り、街中の教会から鳴り響く鐘の音は、その流れが今も連綿と 続いているのを感じさせます。だからというわけでもありませんが、天使達やマリア様のレリーフで装り立てられた建物が並ぶ街の中心に、馴染みのあるチベッ ト国旗や微笑むダライ・ラマ法王のポスターを発見した時には、嬉しさと共に何だかホッとした気分を味わいました。会場となるメッセまでは、そこから「14番」の路面電車で約10分。カー ラチャクラ開催に合わせて完成したその建物は、世界遺産の街並みとはかけ離れた近代的なデザインのものでしたが、最大1万人を収容するメインホールには、 チベットの伝統的な赤と黄色がアクセントに用いられるなど、儀式の会場にふさわしい演出が施されていました。受付を済ませると、プログラム等一式が入った オリジナル布袋と入場チケットが手渡されます(5ユーロ払うとチケットの裏にスタンプが押され、期間中、市内の路面電車やバスに乗り放題になる上、観光名 所も入場無料になる等の嬉しい特典もありました)。会場内にはカメラ類を含む一切の金属物が持ち込めないようになっており、外国語用FMラジオも、セキュ リティの関係上プラスチック製のオリジナル(ナムチュワンデンマーク付!)を購入するよう案内されました。参加費は有料(但しサンガは任意、会場ボラン ティアは免除)でしたが、公開された収支報告によれば、黒字分は福祉活動に寄付される等、資金が有効に活用されている印象を受けました。全体的に、よく オーガナイズされたイベントだったと思います。初日の夜はイントロダクション。10年前にサルナートでカーラチャクラを受けた経験を持つオーストリア人 チェアマンが、ユーモラスなスピーチを交えながら世界70ヶ国からの参加者を温かく迎えてくれました(この時のため、2年半前から準備がなされていたとの事)。
◆完全公開された儀式
午前中はダライ・ラマ法王とナムギャル寺の僧侶達によるサーダナ行(儀式)。午後はダライ・ラマ法王による法話(儀式だけの日もあり)。そして夜は、ボン教、ニ ンマ派、サキャ派、カギュー派、ゲルグ派の各リニエージによる法話やカーラチャクラに関するレクチャー、という構成で日々のスケジュールは進んで行ったの ですが、私達が何より驚いたのは、今回のイベントは「とにかく全てが公開されていた」という事です。おそらく、通常なら特別な許可を得た人しか見る事がで きないであろう準備段階の儀式や砂マンダラ作成の全プロセスが、リアルタイムで誰でも見られる仕組になっていました。チケットがある人は会場の中で。無い人 でも会場の外の大形モニターで。そして驚くなかれ、実は日本に居ながらにして生中継で見ることもできたのです!しかもその様子は、オーストリア国営放送に よって全て録画されており、現在でもインターネットで自由に閲覧する事ができます(※1)。一つ一つ挙げていくとキリがありませんが、儀式の踊りを舞われ るダライ・ラマ法王のお姿や、各国の僧侶のお経などは特に印象的でした。法話の前に毎回異なる国の僧侶が各自の国の言葉で般若心経を唱えるのですが、まるで歌 を歌っているかのような楽しげなバージョンもあり、お経というものに対するイメージも随分広がりました。法話では、ダライ・ラマ法王も各派代表のリンポチェ も、仏教の大基本である「智慧と慈悲」に重点を置かれ、この教え(特に菩提心)の実践が、世界平和の基礎を築くのに大変有用である事を繰返し強調されてい ました。さて、肝心の灌頂についてですが、とにかく次々に儀式が進行してしまい、周囲の真似をしながらついていくのが精一杯という感じでした。『ダライ・ ラマの密教入門』(光文社:知恵の森文庫)を会場に持参したおかげで、おおよその事は理解できましたが、もしこの本がなかったら、何が何やらさっぱり分か らないまま終ってしまっていたかも知れません。翻訳者の石濱さんに心から感謝しつつ、今後カーラチャクラを受けられる方にも是非持参される事を薦めたいと 思います。ちなみに、今回ダライ・ラマ法王はオレンジ色のサンバイザーを被りながら灌頂を授けて下さいましたが、これは会場のライトが眩しいからとの事でした (こういうレアなお姿での灌頂も初めてだったのではないでしょうか)。
◆定めにしたがって
儀式が完了した満月の夜には砂マンダラの拝観が始まり、翌日午前中の長寿の灌頂をもって全てのプログラムが無事終了しました(この時、空には虹が出てい たそうです)。法席を去られる際、ダライ・ラマ法王は「定められた時に、定められた場所でまた会いましょう。」とおっしゃいましたが、9ヶ月ほど前、カーラ チャクラが中止になったブッダガヤの地で手にした美しいパンフレットに導かれ、今回の参加を決めることとなった私達の心には、その言葉が特別な意味を持って響きました。その後、崩されたマンダラの砂は、市民が見守る中、街の中心を流れる川にダライ・ラマ法王ご自身の手によって放たれました。かつて、マンジュシュリーキルティは、清い動機があれば仏教徒でなくてもマンダラに入る事ができるとしてカーラチャクラを要約(濃縮)し、シャンバラ全体にその教えを広め る事に成功したと伝えられていますが、ダライ・ラマ法王14世による「世界平和のためのカーラチャクラ」は、地球規模でのその再演なのかも知れません。63年前にハインリッヒ・ハラー(※2)がヒマラヤへと旅立ったというグラーツ駅を後にする時、ふとそんな思いが私達の心をよぎりました。
(※1)その後、ビデオ化された関係か、2004年12月現在、ネット上で直接映像は見られないようです。
(※2)映画「7years in Tibet」でブラッド・ピットが演じたハラー氏は91歳の今もご健在で、今回グラーツでダライ・ラマ法王との再会を果たしました。
★カーラチャクラ2002グラーツ公式サイト→http://www.shedrupling.at/KC/KChome.html
★本原稿は、チベット文化研究会報第27巻第1号に掲載された記事です。
★追記:ハラー氏は2006年オーストリアで93歳でお亡くなりになりました。奇しくもアマラヴァティでのカーラチャクラ会期中のことでした。