今日は、ナムギャル寺の朝の勤行にダライ・ラマ法王もご出席されるとの事で 5:15に起床。法王の公邸はお寺の目の前にあるが、お忙しい身のため、最近は何か特別な機会でもないとなかなか姿をお見せになる事も無いらしい。こうし てダラムサラ滞在中にお目にかかれるチャンスがあるだけでもラッキーだ。境内に近付くと、辺りに響き渡る読経の声の中に、あの素晴らしいバリトンボイスが はっきりと聞き分けられる!法王の存在を実感して、一気に気持ちが高まるが、今日は入り口にセキュリティゲートが設けられており、一人一人厳しいボディ チェックを受けてからようやく入場する事ができた。それにしても、法王の安全を守るためとは言え、お寺の境内に機関銃を持ったインド兵というのはミスマッ チな光景だ。混み合う境内になんとか座る場所をみつけ、遠く斜め後方から法王のお姿を拝みつつ、しばし心地よいサウンドをこの身に染み込ませる。帰り際、 流れに沿って境内を一周しつつ法王のお顔もチラッと拝ませて頂く事ができ、満足のうちにホテルに戻る。
朝から法王のお経を聴けてご機嫌と行きたい所だが、昨日崩した体調がまだ戻らな いので、午前中のスケジュール(伝統工芸の伝承と保護を行っているノルブリンカ・インスティテュートの見学)はパスさせてもらい、ホテルでゆっくり休む事 にする。カルマパ17世がいるギュート寺で皆と合流すべく、昼過ぎにタクシーで出発。途中場所を間違えたりして大分遅刻したので、カルマパと面会できるか 怪しい状況だったが、法話の終了前になんとかお堂に入る事ができた。100名程いると思われる聴講者のほとんどは西欧人で、ナムギャル寺とはまた違った雰 囲気を醸し出していたが、ここもセキュリティはかなり厳しく、カメラ類は持込禁止で、入場に際しては予約確認とパスポートの提示が求められた。カルマパの 口調と態度はとても落ち着いている上、声もダライラマ法王に負けない位深い響きがあって、10代とは思えない貫禄がある。しかし何よりも目を引くのはその 眼力だろう。法話が終わって一人一人に加持された紐を直接手渡して下さる時、間近にお顔を見る機会があったが、まるで目から光線が出ているかのような印象 を受けた。また、チベタンの頭に「フーッ」と加持の息を吹きかける時は、本当に何かのエネルギーが流れているようだった。ところで、このお寺、日本人の寄 付によって出来ているらしく、久保さんがチベット語で「日本から来ました」と言ったら、カルマパは「ありがとう」と日本語で答えてくれたそうだ。
★ヒマラヤに抱かれたギュート寺はローワー・ダラムサラから約4キロ程。
夕方のゲシェ・ダワによる仏教講座までは少し時間があったので、ナムギャル寺の 傍にあるミュージアムを見学する。中国軍によるチベット侵攻が始まった頃や、命がけで亡命してきた頃の様子が様々な形で記録されていたが、陳列されている 生々しい展示品が当時の全てを物語っていた。その後、暖かいものを飲みに入った境内の「ナムギャルカフェ」で、ゲシェの通訳をして下さるマリアさんとバッ タリ出くわす。旅の前に出しておいた私の質問がちょっと複雑だった事もあり、ちょうど私に確認しておきたいと思っていたとの事。お陰で、仏教講座の最初の 時間にゲシェに質問をして頂けた。特別な法要の期間で大変お忙しい時に、わざわざ2日間にも渡って時間を割いて下さったゲシェに心からお礼申し上げたい。 講座の後半位から下のお堂で何か盛り上がっているなーと思っていたら(まるで宴会でもやっているような様子)、何と坊さん達による問答が繰り広げられてい たのだった。お題が決まると、一人の僧に対して数名の僧が手をパチーンと鳴らしながら矢継ぎ早に質問をする。一見すると、回答している僧が先輩のように見 えるが、マリアさんによると、質問する側が先輩で回答者の矛盾を突きながら、自然と正解に至るよう導いているらしい。言葉が分かればもっと面白いと思う が、動きを見ているだけでも十分面白い。
★あまりの真剣さに見学のインド人もビックリ。ケンカではありません。問答です。
晩御飯に出たオクラカレーが絶品だったお陰で食欲も大分回復。身体の状態がかつ てブッダガヤで体調を崩した時と似ていたので、旅の後半が少し心配だったが、どうやら今回はまともに回復しそうな気配だ。そういえば、今日は亡き父の KIN。こうしてダラムサラで法王やカルマパに無事会えたのも、父の導きがあっての事かもしれない。というのも、旅の直前に入手した『パドマサンバヴァの 生涯』(春秋社)は、2000年7/15の発行で、この日も父のKINだったからだ。ちなみに、2005年7/15は私の母のKINで、5日後のツォペマ 訪問日(満月)とも一致している。5年経つとKINが5日ズレる法則があるためだが、よく考えるとこれはかなり面白い。5年後の今日は母のKINになる し、ツォペマ訪問日に当たる11日(G10/28)から5年遡ると(1999年10/28)、やはり父のKINになるのだ。つまり「白い共振の魔法使いの 年」の自己存在の月11日(1999年G10/28)から260日後の宇宙の月19日(2000年G7/15)に『パドマサンバヴァの生涯』が発刊され、 5年後の「青い水晶の嵐の年」の自己存在の月11日に私はパドマサンバヴァの生誕地を訪れ、それから260日後に発刊5周年を迎えるという事だ。この本に は、パドマがツォペマの蓮の花の上に誕生し、「父は智慧であり、母は空性です」と語ったと書いてあるが、その地を訪れる日と、そういう伝説が書かれた本の 発刊日の両方に父と母のKINが関係するのだから、これは「仏法(智慧と空性)に導かれている」と考えても良いのかもしれない。