シンクロニック・ジャーニー
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■アマラヴァティ2006「カーラチャクラ」リポート(by D)
ダライ・ラマ法王による記念すべき30回目のカーラチャクラが、2006年最初の満月(1/14)に合わせて、南インド・アマラヴァティの地で開催されました。約9万人が集まったと言われる今回のカーラチャクラの模様を、現地の様子など交えながら、ダイジェストにお伝えしたいと思います。
◆伝説の地、アマラヴァティ
アマラヴァティは、シャンバラ国の王、スチャンドラの要請に応える形で、仏陀による最初のカーラチャクラが行われた場所だと言われています。また、大乗仏教の興隆と共に大塔が建立され、後にナーガルジュナ(龍樹)が活躍した地としても知られています。こういった由来のある土地だけに、以前から、この地でのカーラチャクラの開催を望む声はあったようですが(1985年にこの地を訪れている法王も、長年その実現を待ち望んでおられたようです)、これまでそれが実現しなかったのは、現在のアマラヴァティの街が、数万人の来訪者を受け入れるだけの規模も施設も備えていなかったからでした。
おそらく今回も、開催を要請した日本の仏教団体からの支援や、チベット亡命政府およびインド州政府、そしてアマラヴァティの住民による全面的な協力体制無しには、実現は不可能だったことでしょう。実際、現地に行ってみて、道路や水道・電気等のインフラ整備、さらには大規模なテント村の造営など、開催に当たっての準備には、相当な苦労があったであろう事が、容易に想像できました。アマラヴァティへと至る道も舗装したてという感じで、ハイデラバードからの約7時間のドライブも、思っていたよりは快適なものでした。
クリシュナ河の河畔に設けられた広大な会場は、巨大仏陀像(建設途中)に見守られており、そこから周囲1~2キロのエリアに、いくつものテント村が設営されていました。メインストリートには露店がズラリと並び、混雑ぶりも含め、まるで日本の初詣を思わせる様相でしたが、強烈な日差しと暑さ、そしてホコリは、ここが南インドである事を実感させてくれるのに十分過ぎる程でした。街の中心部には、大塔跡に隣接する形で博物館があり、当時の栄華を偲ばせる数々のレリーフや塔の復元模型が展示され、実在した塔の巨大さと、多様な文化の影響を垣間見る事ができます。
一方、通りを少し入ると、そこには、綿花栽培などをしながら日々の生活を営む、清潔で穏やかな人々の暮らしが見て取れました。笑顔で手を振ってくる子供たちの屈託の無さは、この街が、普段はとても静かでのんびりした所である事を感じさせてくれます。興味深かったのは、この小さな街に、ヒンズー教の寺院、イスラム教のモスク、そしてキリスト教の教会が共存し、それぞれのタイミングでお祈りを放送する事でした。もっとも、会期中は、チベット僧による重低音の読経や、インフォメーションセンターのアナウンスの方が、はるかに大音量で放送されていたので、地元の人々にとっては、忍耐を要する期間だったかもしれません。
◆ナーガルジュナの中論
会場では、連日、まだ薄暗い早朝6時前から読経が始まっていました。日中の強烈な暑さに比べて夜の冷え込みが激しいので、朝方はいつも深い霧に包まれていて、数メートル先が見えないような時もありました。当初、ほぼ予定通りに進行していたプログラムも、暑さで命を落とす人が出たりした事もあって、途中からは午前中のうちに一日のプログラムが終わるよう、予定変更されました。快適な乗り物で移動をしてきた私達が日射病で倒れ込んでいた位ですから、チベット本土(現・中国チベット自治区)を含む極寒の地域から、必死の思いでやってきた人々にとっては、日中蒸し風呂のようになるテントや、密集状態で座り続ける会場は、相当過酷な環境だったのでは無いかと思います。
ティーチングの前に、毎回、異なる国の「般若心経」が唱えられたり、終了後には、国やグループごとに法王との謁見の機会が設けられたり、世界中から人が集まるカーラチャクラならではの光景が展開される中、印象的だったのは、「フレッシュ・アライバル」というエリアに座っていた数千人のチベットの人々の姿でした(どういう経緯でこれだけ大勢の人々が国境を越えられたのかは不明でしたが)。伝統的な服装に身を包み、祈るような視線で法王を見つめるその姿には、一言では言い尽くせない深い思いが込められているようで、見ていて胸がつまる思いでした。
全日程12日間の中で、法王が繰り返し述べられていたのは、「灌頂そのものよりも、それを受ける動機をよく見つめたり、菩提心を育んだり、空についての理解を深めることが重要である」ということでした。この地で大乗仏教を大きく発展させたナーガルジュナにちなんで、前行では『中論』を26章→18章→24章と辿りながら、「一切の事物と出来事は独立した自性を欠いていて、それ自体で自ら存在するものはない」という中観派の「空」の見解について、順を追いながら解説して下さいましたが、儀式全体を通じてみても、法王が最も力を入れて伝えられておられたのは、このポイントだったように感じられました。
肝心の灌頂については、「仏の宮殿の秘密を見る」「七つのイニシエーション」「付加の儀式」「4つの高度な灌頂」「さらに高度な4つの灌頂」という完全なバーションの灌頂が、3日間に渡って行なわれましたが、何しろすごいスピードで次々に儀式が進むので、実際には、ただ言われるままにマントラを唱え、諸仏を観想し、供物を捧げる、という事を繰り返すだけという印象でした。一方で、連日の猛烈な暑さが、灌頂の時だけは和らいだり(太陽が霧の中に隠れたり、会場に涼しい風が吹き渡ったりしました)、身体がとても楽な感じになったりして、目には見えなくとも、本当にマンダラに諸仏が舞い降りているのかもしれない、と感じさせる不思議な雰囲気もありました。
それにしても有り難かったのは、今回は、マリア・リンチェンさんによるチベット語-日本語同時通訳がFMラジオで常時聞けたことでした。全ての日程をお一人で通訳し続けるのは、並大抵の事ではなかったと思いますが、お蔭様で、法王のメッセージや儀式の流れを、かなり明確に掴むことができました。また、灌頂の式次第をベースにした本『ダライ・ラマの密教入門 』(石浜裕美子訳/光文社)にも大変助けられました。
◆法王からのメッセージ
満月に合わせて完成した砂マンダラの美しさは、見事という他ありませんでしたが、それ以上に輝いて感じられたのは、やはり法王が発せられる暖かくて力強いメッセージの数々でした。特にチベット本土からやってきた人々に向けての言葉は、時にユーモラスでありながらも愛情に満ち溢れていて、法王がどれだけチベットの全ての人々の事を思っているかが伺い知れました。
例えば、「心を育てたり高めたりする事なしに、外側を装飾品で飾り立てても意味がない」という事を伝えるのに、「ツァンパを練るのにも指輪とか腕輪をたくさんつけたままだと、うまく練ることができないでしょう?」と笑いを誘いながらも、「そういう事は恥ずかしい事だと法王が言っていた、と本土の人に伝えてほしい」と、この場に来ていない人々に対しても常に気持ちを向けられているのが感じられました。法王にお会いできる数少ない機会に、出来る限りのおめかしを(装飾品を沢山つける事などで)して来ているのではないかと思うと、ちょっと気の毒にも思えましたが、「本当に大切なものは何か」を伝える事の方が、結局思いやりがあるのだという事を、改めて感じる瞬間でした。
このような法王の信念は、灌頂の儀式にも色濃く反映されていて、例えば、儀式の最中、帽子を被るような場面があった時にも、「仏陀がここで最初の灌頂を授けた時には、おそらく帽子など被ってはいなかったでしょう。こういった帽子は、チベットのように寒い所なら役に立つでしょうが、そういう実用的な側面を除けば、あまり意味があるとは思えません」とおっしゃり、実際に殆ど帽子を被ることはされませんでした(2002年にグラーツで行なわれたカーラチャクラに参加した時の印象と比べても、儀礼的な側面は随分と削られてシンプルになっていた感じがしましたので、これは帽子に限った事ではなかったと思います)。
参加者に向けて発信された先のメッセージを、儀式という場面の中で、自ら率先して実行してみせて下さる(おっしゃった事はそれぞれ違いますが、「不必要に飾ることをしない」という本質においては、同じだったのではないかと思います)。こういう姿勢が、法王のメッセージにますます説得力と力強さをもたらすのだと、思わずにはいられませんでした。また、長寿の灌頂の時に述べられた「できるかぎり長生きしたいと私も思っています。そのためには、みなさんの祈願が必要です」という言葉や、その後チベットの人々に向けて伝えられた「われわれに必要なのは教育です。教育こそが、チベットにいるチベット人に復権をもたらす力となるのです」というメッセージ、そして「チベットと中国が力を合わせて互いの益を共有できる日が来るように」という祈りからも、常に一貫した決意と姿勢が感じられました。
全プログラムが無事完了した時、法王は、様々な形で今回のカーラチャクラに関わった全ての人々に感謝の言葉を述べられ、「あらゆる条件が完璧に整った場所で、完璧なカーラチャクラの灌頂を授ける事ができた事に感謝します」とおっしゃられました。アマラヴァティという場所、そして仏陀入滅2550年や法王にとって30回目の灌頂というタイミングなど、本当に全てが整って実現した特別な機会だったように思いますが、同時に、「これからそれぞれの場所へと帰るわけですが、カーラチャクラの灌頂を受けたことを自慢したりするのは全く意味がありません。ここで学び、受け取ったものを、日々の生活の中に活かし、実践していくこと、それによって心を育むことこそが大切なのです」という法王からの戒めを、しっかりと胸に刻み込んでおこうと思いました。
数え切れないほどの灯明と満月の光に照らし出されたアマラヴァティの大塔跡を、大勢の人々と一緒にコルラしながら、これからチベットへと戻る人々に向けて法王がおっしゃっていた「いつか現状よりも恵まれた状況になったチベットで、また会いましょう」という言葉を思い出して、今度はそれが実現するように、心からの祈りを捧げました。(文・小原大典)
*ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のウェブサイト「ニュース」のコーナーに、カーラチャクラの様子が日本語で報告されています。
*本文は、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所発行「チベット通信」2006春号に掲載した記事です。
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