二子玉川駅周辺の氾濫報道に対する違和感

台風19号が東京を直撃した10/12(土)、二子玉川の多摩川河畔エリアには、かなり早い段階から「避難勧告」が出されていた。風雨が強まって来た18時過ぎには、もう一段階上の「避難指示」も発令されたが、5階に住む私達は暴風雨の中避難するよりも家に居た方が遥かに安全と考えて、そのままくつろいでいた。

もちろん、停電や断水に対する対策を事前にしていたからでもあるが、気圧の急変による頭痛やダルさで何もやる気が起きなかったという面もある。きっと、鳥やその他の動物たちも、風雨の時には自然とそういうモードになって大人しくしているのだろう。

21時頃が最も風雨が激しく、まさに「猛烈な」という表現がぴったりな暴風雨だったが、21:45頃になると急に収まってきてあたりに静けさが戻って来た。どこから染み込んで来たのか、それとほぼシンクロするかのように、台所の換気扇付近から水がポタポタ漏って来たものの、暫くするとそれも収束。

記録と思ってその状況をツイートしたのは21:47で、「多摩川の状況は翌朝くらいまで様子を見る必要があるが、今のところ停電も洪水もなく無事に経過。感謝である。」と締めくくっていた。

すっかり風雨も収まった22:30頃、世田谷区に「特別警報」(気象庁が出す最高レベルの警報)が出ているのをネットで知り、テレビをつけてみる。何だか馴染みのある風景だなと思って見ていると、何と、目と鼻の先とも言えるような場所からの中継だった。どうやら多摩川から溢れた水が、すぐ隣のマンション辺りまで来ているらしい。

雨もすっかり止んでいるようなので、様子を見に行ってみようと内階段を下りて行くと、2階の踊り場スペースに1階に住むご家族が避難していた。「大丈夫ですか?」と声をかけると「ちょっと前まで、かなり危ない感じだったんですが、もう引いて来たみたいなので戻ってみます」との事。Lが「必要だったら何でも言って下さいね」と伝え、そのまま外に出てみた。

報道クルーと消防庁の方、そしてご近所さんとおぼしき数名がその場にいたが、確かに兵庫島公園に向かう道が冠水している。しばし様子を見て、それ以上浸水が進む気配も無かったので部屋に戻る事にした。が、「二子玉川駅周辺で多摩川が氾濫」というタイトルで繰り返し流される映像の影響で、各地の友人たちから「大丈夫?」のメッセージやメールが入る。

心配してくれる気持ちはとても有り難かったが、この頃からメディアの伝え方と現地の状況の乖離を感じ始めていた。海外にいる友人たちからも安否を気遣う連絡が入り続けるので、FBやツイッターでも無事を伝えるメッセージを発信してみたが、それでも止まらない。

久方ぶりの友人たちとやり取りできる良い機会にはなったが、道から水が完全に引いた翌朝にもメディアはしつこく報道し続ける。東北や千曲川沿いなど、もっと大変な事になっている場所がいくらでもあるのに、「二子玉川駅周辺で多摩川が氾濫」というフレーズがフィルターをかけて、甚大な被害が生じたかのように錯覚させる。

確かに、川沿いの道は泥まみれになり、前々から「これは設計がまずいだろう」と思っていたマンションの半地下部分は水浸しになっていたが、多摩川の水が溢れ出したまさにその場所(兵庫島公園への橋の真正面)のマンションは、独自の防水扉(高さ70cm程)のお陰で浸水している様子もなく、停電もしていなかったし、その先の自転車店の辺りも、翌朝時点で水浸しというような事にはなっていなかった。

今日得た情報によれば、線路沿いのタワーマンションの地下に水が入った関係で、そのマンションは13日のお昼過ぎまで停電、断水はしていたらしいが、既に復旧していたし、「氾濫」という言葉からイメージされるような状況とは大分違うというのが、現場を見た率直な印象だった。

何より違和感を覚えたのは、国交省が国民からの攻撃を避けるのに、景観維持派の人々(というあまりはっきりしない存在)を「魔女」に仕立て上げ、「景観維持派の地元民の反対にあって堤防を作れなかったから氾濫した」という話にしようとしているのを、そのまま報じるメディアの姿勢だった。

それを真に受けたネット民が、現場の状況もよく把握せずに正義感を振りかざし、誰かを吊るしあげようとする「魔女狩り」的展開は、このニュースに限らず、どこでも同じように生じる機械的反応のようなもので、戦中の大本営発表に一喜一憂していた頃とあまり変わらない現代の病巣を見る思いがする。

そもそも、水が溢れた場所は兵庫島公園に向かう階段の所で、その両サイドに積んである緑色の土嚢と同じものを、早い段階で階段部分(あるいはその上下数mの範囲)に配置しておけば、浸水は防げたのではないかとも思う。

もし何か作るにしても、階段正面のマンションが講じていたような緊急時用の防水壁(普段は地面に埋まっている)を作る方が、予算面から見ても、無駄に巨大な堤防を作るよりずっと対費用効果が高いのではないだろうか。ライズが整備された時、長年河畔を見守って来た立派な桜の樹が何本も伐採されまくって、直線的で高い堤防がつくられた。

しかし、川崎側で生じた氾濫(こちらは死者も出ている)や、ライズよりも下流側で生じた氾濫は、多摩川の水位の方が高くなって排水できなくなった水が逆流して生じたものでもあると言う。東日本大震災後、海岸に長大な巨大堤防を作ったような愚を繰り返さないためには、防災の発想を根本的に変える必要があるのではないだろうか。

少なくとも今回の台風のように、災害発生前にその規模と場所と時間をある程度予想できるタイプのものに対しては、氾濫が予想される流域に、ゴムボート、水、食料、エネルギー等を予め配備しておく方が、ずっと経済的で安全なのではないかとも思う。

釜石にいたラグビー選手のボランティアの様子や、物資を本当に必要としている場所の情報を伝える報道には意味を感じるが、キャッチーに作られたニュースは、憎悪と悪意を引き出す装置でしかない。報道の意義は、思いやりや建設的な意見を引き出す構成になっていてこそ生じるものではないのかと、視聴率や購促のための煽り要素ばかり考えて作っている昨今の報道を見て思う。(D)

電気の月26日 4・鷲(KIN95)

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