環境を映し出すポルポとしての人間

タイトルにある「ポルポ」とは、イタリア語でタコの事。ジョジョ第5部のキャラクター名を通じて知ったのだが、振り返ると、ちゃんとそのキャラクターにもタコの特性が描かれていたのが分かって面白い。

1ヶ月余り前、LがFBで目にした海中でのタコの変身動画をシェアしてくれた。砂地に馴染んでみせたり、岩やサンゴのように成ってみせたりする様はまさに忍者のようで、子供の頃からの私の大きな疑問の一つ「擬態」について改めて考える機会となった。

それで、何年か前にツイッターに呟いた「擬態」についてのメモをツイログで探すと「ハチにしか見えないのにガと見破れたワケ」という新聞記事と、それに添えた自分のコメントなどが見つかった。それを少し整理したものに加筆して、現時点の私見をまとめておきたいと思う。

昆虫に限らず「擬態」は実に不思議な現象だが、この新聞記事にもある通り、普通は「天敵から身を守るため」という理由で片付けられてしまう。この理由で「擬態」という現象について納得できる人がいるとしたら、それもまた私には不思議である。

例えば、ハチの天敵とされる鳥の認識システムと、昆虫のそれは異なるはずだが、どうやって天敵の認識システムで自分がどう見えているのかを知り、かつ環境と溶け込むようにその姿を変える事ができるのだろうか?これを、突然変異と自然淘汰で説明されて納得できるのだろうか?

あるいは、先端的な生物学や進化学の中では、もっと説得力のある説明が既になされていて、単に私が知らないだけなのだろうか?世間知らずな私の場合、この可能性も十分あるので、どなたかご存知の方がいたら、ぜひ教えていただきたいと思う。

この「擬態」と関連して、もう一つ疑問に思っていることがある。それは、最近の日本人の体型変化についてだ。ひと昔前までの日本人像は、胴長で手足が短く、顔も大きいというものだったが、街で見かける最近の若者は、手足が長く顔もすごく小さい人が増えたように思う。

長身で10頭身みたいな日本人は、漫画の中でしか見られない「ありえない体型」だったのに、今は、普通に見かけるようになっただけでなく、大谷翔平選手とか羽生結弦選手など、世界のトップアスリートとして活躍している若者にもそういう体型の人が増えているのだから、漫画が現実になってしまったかのような感覚を覚えずにはいられない。

社会構造の変化から、遺伝的に多様な状態になった事も関係があるのかもしれないが、上記2選手などは純日本的な顔立ちで、少なくともご両親は海外出身の方ではないようだし、遺伝というよりは生活様式や食の変化が影響しているようにも思える。だが、「擬態」も含めて私自身が納得するために立てた仮説は、それともちょっと違う。

その仮説とは、「生物はキャッチした環境情報(特に視覚情報)に強い影響を受けてそれを体現する」というものだ。人は、日々目にしているものに成るのではないだろうか。それも、ある種の憧れを持っているイメージに近づこうとするのではないだろうか。

もちろん、その場で変身するポルポとは意味合いが違って、この変化の時間的なスパンはもう少し長く、次の世代に影響するというレベルの話だ。そこには、個人だけではなく、ある集合的な単位での「憧れ」も関係するのかもしれない。だから、海外の俳優だったり、漫画やアニメのキャラクターだったりに無意識的な憧れを抱き続けた世代の次の世代に当たる段階で、体型が急速に変化して来たのではないだろうか。

そして、ある面、これは生物に普遍的な性質ではないのかとも思う。もし「見たものになる」という性質が普遍的なら、その環境に合わせた「擬態」が生じるのも、ある程度納得が行くからだ。ある程度と書いたのは、前述の通り、捕食者の認識システムにとって「擬態」となる点は、これだけだと説明がつきそうにないからだ。

ただ、捕食者と被食者の認識システム(主に視覚)に、実はあまり違いが無い(どちらからも同じように環境が見えている)という事なら「見たものになる」という基本ルールだけで良いのかもしれない。

念のため断っておくが、これらはあくまで素朴な疑問に対して素朴な発想で立てた仮説であり、遺伝子型と表現型と文化的伝承(ミーム)とをごちゃ混ぜにして書いている事は十分承知している。ただ、私にとっては、科学的であるかとか、厳密な検証がなされているかよりも、納得できるかどうかこそが重要なのだ。

現時点では「見たものになる」という説が私には有力なので、その前提で、もう少し想像を広げてみよう。親子が姿形だけでなく、しぐさまで似ている事が多いのは、遺伝の問題というより、最も身近なお手本を真似た結果と言える。となると、何を(無意識的レベルで)見続けるのかが非常に重要になって来る。

人間はそれを形や動き、そして創作物として世界にフィードバックする可能性があるからだ。身近で毎日目にするものの中で、何にチャンネルを合わせるのか。加えて、「こんな風になりたい」という想像力(イメージの力)をどのように使っているのか。こういうポイントが、実はとても大切なのではないかと私は思っている。

更に、『13の月の暦』を見続けているとシンクロ率が劇的に上がるというのも同じ原理ではないかと、私は自分が体験して来たことと仕組みの両方から考えている。そして、使ってみてもシンクロ率があまり上がらないという人は、やはりグレゴリオ暦の方が(無意識レベルを含む)意識の領域での比率が高いままなのだとも思う。

どこに目をつけ、それを無意識レベルにまで浸透させるには、どういう手続きを取れば良いのか。そのヒントについては、「時空のサーファークラス」や「公開講座」で伝えているので、この仮説に説得力を感じる方がいたら、ぜひ活用してみていただきたい。

今時期は、満開の桜を心眼に染み込ませておくと、その人が醸し出す雰囲気は「満開の桜」のようになり、憧れを持ってそのイメージを保持し続けられたら、次世代には「桜人間」が誕生するかもしれない(笑)。(D)

太陽の月25日 1・地球(KIN157)

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