稽古はその先の世界へと導く旅
女は地図が読めない、というのは大嘘である。なぜなら私(L)は、頭の中に常に地図を描きながら歩いているから、当然読める。
小さな子供の頃から「その先に何があるのかが見たくて、知らない道を行く」という探検が大好きだった。とにかく、どんな風景が広がっているのかが見たくて、初めての道を行くのだ。そして頭の中に描く私の地図を広げてゆく(だから迷子になったことは一度もない)。
大きくになるにつれ、探検の手段は、徒歩や自転車から、バスや電車になり、やがて飛行機になり、私の中の地図は地球規模へと広がったが、探検の動機は全く変わっていない。「知らない世界に出会って、驚きたい」というシンプルなものだ。それが私にとっての旅であり、そのことで、何よりも自分自身を知りたかったのだと思う。
今でももちろん旅には出るが、いつしか私の人生には、もう一つ精神的な旅が与えられた。日々の「稽古」である。全く新しい世界に出会える事、心の世界の旅をどこまでも深めてゆける事に、私は稽古の面白さを見出したのである。もうひとつ大切な事を加えるのなら、過去においてその世界に身を捧げてきた、歴代の名人や稽古人たちのとの時空を超えた直接の交流が、タイムマシーンに乗っているかのように起こることがある。稽古の世界の恩寵である。
「驚きは、知ることの始まりである」という言葉は、古代ギリシャの哲学者プラトンの残したものだが、稽古において「自分が本当に何もできない」と知って驚くのは、紛れもなく快感そのものである。(嘘だと思ったら、自分でやってみる事をお勧めする。きっと楽しい。)
例えば、初めて書道の稽古で直筆中鋒で線を書いてみた時。
例えば、初めて剣武の稽古で抜刀(鞘から刀を抜く)してみた時。
簡単そうに見える事が、自分では何ひとつまともにできずに驚いた事を思い出す。だから、できるようになりたい、そしてその先にある世界や境地を知りたい、という思いに突き動かされるのだ。稽古の世界には、生涯探求し続けて行けるだけの無限の豊かな世界が広がっている。(L)
(トップの写真はバチカン美術館の地図の回廊。地図という発明に感謝。)
追記メモ:外尾悦郎さんのこんなインタビュー記事を発見して嬉しくなりました。
「自転車に乗れるようになると、わざと迷子になって晩ご飯までに家に帰れるかなんて遊びをしていました。知らない道のほうに曲がるのが好きで楽しくて、その癖は今でも抜けません。」
電気の月22日 1・人(KIN92)大型台風19号接近中。皆さまどうぞご安全に。
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