今朝は早目に起きて、Lと久保さんの3人でホテルから2キロ程歩いたところにあ るバグースの滝を訪れる事にした。ヒンズー寺院の沐浴場を通り抜けると、渓谷の崖っぷちにへばりつくように伸びる細い道が目に入る。入り口には「注意!崩 れる可能性あり」の看板があったが構わず進み、歩くこと15分余りで滝つぼ近くに辿り着いた。周囲の様子から、新体道の稽古仲間が教えてくれた「入るのに 良い滝」はここで間違い無さそうだったが、時間と体調を省みて入滝は断念。帰り道、見晴らしの良い崖から、朝陽に輝くマックロードガンジに向かって祈りの 「天真五相」を捧げる。朝食時に小林さんが用意して下さった「特製ゆず風味わかめ」は絶品で、ベテラン添乗員ならではの気配りを感じた。
★遥か彼方の滝をバックに、早起きしてきた久保さんと。
午前中は難民レセプションセンターを見学。所長さんから、このセンターの役割を詳しく教えて頂いた後、施設を巡りながら色々と説明を伺う。4000mを越 えるヒマラヤの峰峰を危険を冒してまで越えてくる人々が後を絶たないのは、チベット本土(現・中国チベット自治区)における信仰の自由と文化の伝承が、本 質的には全く守られていないからだが、中国からいきなりインドに亡命してくるケースは希で(国境の軍事的緊張度が高いため)、通常はまずネパールに抜ける のだという。無事に中国ネパール国境を越える事ができれば(捕まって強制送還されたり身柄を拘束されてしまう人もいる)、山麓の避難小屋(一時保護)→カ トマンズの難民センター(難民の認定を受ける他、凍傷の治療を受けたりする)→インド・デリーの難民センター(身分証明書の発行等でかなり時間がかかる) →という流れで、ようやくここに辿り着くのだ。そして、このセンターでは、まず多くの難民が一番の目的としている法王との謁見の機会を設ける事、そしてイ ンドでの身の振り方(仕事や定住先)が決まるまでの一時滞在場所として、食事や眠る場所を提供する事が行われている。通常滞在期間は一ヶ月位との事だが、 すぐに行き先が決まらない人もいるし、後から到着する難民も決まったペースでやってくる訳ではないから、時には1つのベッドを数名で共有しなければならな い事もあるという。そんな様子を聞いて、久保さんが「布団をたくさん送ろうか」と口に出したら、現地の事情を良く知るマリアさんが「布団はこちらでも安く 手に入るし倉庫にも沢山あるから、多分現金の方が使い道が色々あって喜ばれると思う」と教えて下さった。ちょっとしたやり取りだったが、こういうコミュニ ケーションは難民や被災地のサポートにはとても大切な事だと思う。状況をよく知らないでサポートしたつもりになっても、現地の人たちが本当に喜んでいるか どうかは分からないからだ(もちろん現金よりまず布団が必要なケースもあるだろう)。そういう意味で、信頼できる仲間が現地にいてくれる事は何かと心強 い。
★男性用大部屋。ベッドの台数に関わらず200名位が過ごす時もある。
ところで、センターの中で一番印象に残ったのは、子供達が描いた絵が飾ってあるコーナーだった。火あぶりにされている僧侶や人民解放 軍の兵士に引きずられるお年寄り、家族が銃殺されるシーン・・・様々な年齢の子供が描いたと思われるたくさんの絵は、どれも残酷な描写に溢れていた。おそらく、見たままをそのまま描いているのだろうが、チベットでの心象風景がこんな形で子供達の心の中に刻み込まれてしまっているなんて、あまりに可愛そうだ。ふと目をやると、子供達の面倒を見ているお婆さんにメンバー数名が駆け寄って握手をしている。聞けば、その女性は数年前に来日したアマ・アデさんという方で、 思いがけない再会に喜びを分かち合っていたのだった(アマラは、すぐその場で訪日時の写真を探してきて皆に見せてくれた)。私は、恥ずかしながら彼女の事 を全く知らなかったが、中国軍によるチベット侵攻が激化していた1950年代、抵抗運動に加わった事で27年もの間監獄での強制労働に従事させられなが ら、奇跡的に生き残った気高い女性戦士だったのだ。そんな過酷な人生を歩んで来た事を微塵も感じさせないような優しい笑顔に、仏教の教えが魂に染み渡っているチベットの人々の奥深さと力強さを感ぜずにはいられなかった。
★心が凍り付いてしまう様な、チベットでの日常風景が描かれた子供たちの絵。
レセプションセンターの見学を終えた後は、ジャムガーさんのお宅でタン カの鑑賞。昼間の明るい日差しの中で見るタンカは、昨夜とはまた違った様相を見せてくれて美しい。タンカのデザインや色使いには基本的な決まり事があるの で、同じテーマなら誰が描いても極端な違いは出ない事になっているが、仏様の表情とか細かなところに絵師のセンスが滲み出てしまうようで、同じ菩薩像でも かなり印象が異なるものも多い。もちろん、ジャムガーさんのセンスはピカイチで、どのタンカも素晴らしく描き上げられている。彼の爽やかな人柄がそのまま 絵に表れているのだろう。ホテルに戻り、ツアーメンバーと共にする最後のランチを楽しむ中で、約束していたLのプチお告げが始まった。久保さんを含むブッダガヤツアーの時のメンバーが、Lの驚くべきリーディング能力を目の当たりにしていたせいで(常識では起こりえないような事が実際成就していた)、今回のツアー参加者もウワサを聞きつけ、旅の間にプチリーディングをしてもらえないかと懇願していたのだった。だから、この瞬間の女性達の目の色の輝きには尋常ならざるものがあった(笑)。目的を果たしたからか、皆、満足そうな顔であったが、いよいよお別れの時が来た。皆はパタンコット経由でデリーに、私達はパンカジさんが選んでくれた信頼できるドライバーのタクシーに乗り込み、一路マンディへ向けて出発した。
途中、幻想的な茶畑(後にカングラ ティーの産地と判明)や目の眩むような崖沿いの道を揺られる事5時間、夕暮れ時にヒンズーの聖地マンディに到着した。途中、運転手が別の(知り合いの)タ クシーに乗り継ぐよう話を持ちかけてきたので、最初は「そんな事は聞いてない」ときっぱり断ったが、もともと「このドライバーは片道5時間もかかる道を運 転して帰りはどうするのだろうか?」とか「一泊してダラムサラに戻る時、客がうまく見つかるのだろうか?」という事が気になっていたのと、「自分が責任取 るから」と名刺を差し出して一生懸命説得する姿に免じて最終的にはこちらが折れた(パンカジさんが選んでくれた運転手だったし、運転そのものも穏やかで信 頼するにたる態度の人だったので)。デリー辺りでこんな事するのはちょっと危険だと思うが、インドにも信頼できる人のネットワークというものがあるように 思う。乗り継いだタクシーの運転手も無駄口をたたかず(インドでは珍しい)、穏やかで快適な運転を続けてくれたのでホッとした。もっとも、乗った瞬間に運 転席に法輪のアクセサリーを発見していたので、これなら大丈夫だろうという直感はあったが(タクシー運転手は殆どがヒンズー教徒なので運転席には大抵シバ 神とかヴィシュヌ神の写真が飾られていて、仏教関係のアクセサリーを見るのは極めて希だ。これはダラムサラでも変わりは無い)、やはり人柄は運転に出るの で、動くまで確信は持てていなかったのだ。
さて、マンディでは割とマシなホテルの一番良い部屋を予約しておいたはずだった が、ガランとして意味無く広いという他は、ことさら景色が良いわけでも、備品が整っているわけでもなかったので、最初Lは「お部屋が間違ってるんじゃな い?」と訝しげな様子だった。だが、ホテルを少し歩き回ってみると、どうもそうでもなさそうだという事になった。まあ、日本のホテルを基準に考えてはいか んという事だろう。街の中心部にあるインディラマーケットは、煌々と光がともる3階建てショッピングモール(といってもあくまでインド風)で、ここでスパ イスの効いた夕食を摂った後(美味しかったがどうも意識がぼんやりする薬草が入っていたような気がする)、ネットカフェに入ってみる事にした(インドに来 てから初めて)。回線が異常に細いのとパソコンが古いせいで、WEBメールへの転送メールを確認するだけで小一時間もかかってしまったが、ヒマラヤの麓で ネットができる事だけでも驚きなのだから、このスローさは忍耐心を鍛えてくれるためのものと思う事にしよう・・・でもやっぱ遅すぎる!(つづく)
★インディラ・マーケットは、超〜怪しいお店の鈴なり。