朝もやに包まれた幻想的なマンディの街並みを見渡せるホテルのテラスで、軽く身体を動かしてから朝食をとる。昨日の運転手は別方向への予定があるとの事 で、また新たに兄弟だという運転手(当然、実際の兄弟ではない)を紹介された。英語があまり得意でないのか、首を横に傾ける仕草と共に「アチャ」(OKの 意)という返事をする以外、殆ど何もしゃべらない物静かな彼は、運転も実に丁寧で、喧しい音楽もかけず、気温やホコリの状況に応じて窓の開け閉めも気遣っ てくれる一流ドライバーであった。ご縁と言えばそれまでだが、このグッドドライバーネットワークに繋がる最初の運転手を見極めてくれたパンカジさんに感謝 したい。
★突然椰子の群れ!それにしても、こちらの崖っプチから対岸の寺院にはどうやって行くのでしょうか??
マンディから目的地のナガールへと向うクルー渓谷沿いの道は、文化的にも 生態学的にも非常に興味深いところで、突如亜熱帯性の植物が現れたり、この地特有の建築や服装などが見られて飽きる事がない。お陰で3時間程のドライブも 短く感じられた。急な坂道を登った崖の上にある「ホテル・ナガール・キャッスル」(本日の宿泊地)は、かつてこの地を治めていたマハラジャ(藩主)の城跡 に建てられたというだけあって、クルーの谷を見渡せる絶景ポイントにあった。ここから程近い場所に、お目当てのレーリヒギャラリー&ミュージアム(レーリ ヒメモリアルトラスト)があるとの事だが、急に強い雨が降ってきたので、土産物屋で特産のパシュミナ・ストールなどを物色しつつしばらく待つ事にする。明 るくなってきたのを見計らい、外に出て坂道を歩くこと10分余り、雨上がりの美しい庭園の中に白い洋風の建物が現れた。ギャラリーとして開放されているこ の建物こそ、レーリヒがその最晩年を過ごした家なのであった。1階には、彼と彼の息子が描いた絵(ヒマラヤの山々を描いたものが多く神聖な雰囲気がある) が展示され、2階は当時の暮らしぶりのまま家具等が保存されていた。車庫には何とクラシックカーまで保管されていたが、今から70年以上も前にこの地でこ の車が走っているのを見た人はきっと驚いた事だろう。
★雲上の館、ニコライ・レーリヒのアートギャラリー入り口。
庭やエントランスホールに掲げてある「平和の旗」を見て、出発前の事を思い出し(電気の月28日参照)、 改めてこの旅の不思議さを感じる。何しろ、「13の月の暦」がご縁で「13・鏡(KIN78=13×6)」という日に我が家にやってきた旗を、13日後の 「13・猿(KIN91=13×7)」の日に、提唱した張本人が一世紀近く前に生活していたその家で眺めているのだ。時を越えて語りかけてくる何かがなけ れば、この瞬間にこの地に立つ事は無かっただろう・・・などという思いを抱きつつ、少し離れた所にあるウルスヴァティ・フォークアートミュージアムへと向 う。ウルスヴァティは「明けの明星」を意味する言葉で、ここにあったヒマラヤ学術研究所の別名でもある。レーリヒは、この地こそ霊性と科学と美の研究に最 も相応しい所だと考えていたようだ。ここにも巨大な「平和の旗」があったが、印象に残ったのは、この地域の衣食住にまつわる展示物の中に、何故かキルリア ン写真(及びキルリアン夫妻)が含まれていた事だった。もっとも、ロシアで霊性と科学の研究をしていれば、リンクしてくるであろう事は想像に難くないのだ が、レーリヒ(もしくはその息子)とキルリアンとの間に、何らかの繋がりがあったという事に興味が湧いた。
★そしてこれが「平和の旗」
ホテルに戻って夕食を済ませ、 くつろぎながらテレビをつけると、日本で大きな地震があったというニュースが映像と共にチラッと流れた。非常に気になったもののヒンズー語メインだったの で詳しいエリア等は不明のまま(後に新潟中越地震と判明)。分かった所ですぐにどうこうできる状況ではないが、まずは家族や友人の無事を祈るしかない。と ころで、さすがインドと思ったのは聖者チャンネルみたいなものがあるところ。おかげで久々にサイババまで見る事ができてしまった(こちらでは今も聖者の一 人として活躍中のようだ)。持参した『シャンバラの道』(レーリヒ著/中央アート出版)の中に、1929年にこの地で書かれた「ヒマラヤ学術研究所」と 「クル谷に祭られた神々」という項目があったので、眠る前に少し読んでみる事にした。曰く、クル谷は神話時代の昔から聖なる場所であり、花や果実などの自 然に恵まれた極めて美しい所である、とのこと。おそらくレーリヒが抱くシャンバラのイメージに、ここの情景は強く影響を与えたのではないだろうか(実際現 在も本当に美しい所だ)。
他にも、「マハーバーラタでは、パンドゥー族がクル族との大戦争の後、ナガールを 最良の地とみなしてそこに落ち着いた」とか「かつてアレクサンダー大王はマンディの近くに滞在した事がある(クルー渓谷を流れるピアス川が東への遠征境界 だったらしい)」とか、歴史的に見ても特別な土地なのだという事が盛んに書かれているのだが、一番驚いたのは、パドマサンバヴァとシャーンタラクシタの二 人が、共にこのクルー(マンディ)の地と深い関係を持っていた、という事記述を発見した時だった。なぜなら、この二人こそが、時の王に請われてサムイェー 寺を建立し、チベットに仏教を本格的に導入した立役者だっだからだ。(そんな事も関係しているのか、後日、他の本では「クルーは法王お気に入りの瞑想用の 隠遁地でもあるらしい」という文も発見してしまった)。様々なシンクロに導かれて(月の月の10日「シャンバラの道」参照)やってきたこの地が、思っていた以上に特別な場所である事を肌で感じながら、夢時間の中へと導かれていった。
★クルー渓谷、ナガールの朝。ここは神話や伝説の宝庫。