初版から6年、「宇宙の暦は13カ月 」改訂増補版が今日リリースされた。昨日から2日連続、魔術の亀の日である。
先週、書法塾の稽古帰りに、KOZOさん、たかちゃん、D、そして私の4人(今や全員塾生)で一足早い出版祝いをした。この本がプレアデス出版からリリースされた背景は、Dが自 ら「NEWS!」に書いている通り、美しいシンクロに束ねられている。先週4人で「猿の水晶の円卓」を囲んでいたら更にすごいコトに気付いて驚いた。
私達4人は「基本の地球家族」である。(KOZOさん=KIN46/白い共振の 世界の橋渡し、たかちゃん=KIN16/黄色い電気の戦士、D=KIN241/赤い共振の竜、私=KIN231/青い惑星の猿。)なので、私たちは、それ ぞれの52年の運命の道筋のどこかで、互いのKINを経験し合う関係だ(この事自体は驚くことではない)。KOZOさんデザインによるDの新しい本 の表紙は、アンコールワットのレリーフにインスパイアーされて誕生している。私達4人が地球家族である事とアンコールワット、そして今のタイミングでリリースされたDの新刊とは、一見全く 無関係の事のようであるがこれがとんでもない!ことごとく関係大ありなのだ。
まず、たかちゃんと私は約4年程前に、一緒にアンコールワットに行っている。アンコールワットに旅立ったのは、たかちゃんのお誕生日当日で、その年は KIN46であった。つまり、たかちゃんの道筋がKIN46(=KOZOさん)となった瞬間アンコールワットに飛んだわけだ。だから、KOZOさんとアン コールワットは、この時 すでに回路が出来ているとも言える。一方、その時の私の道筋はKIN166であったが、最初に「宇宙の暦は13カ月」がリリースされた年のDの道筋もこの KIN166である。なので、私はそのエネルギーをアンコールワットにセットした、という見方もできる。(更に言うなら、今回の新しい本は、他界したDの 父との繋がりが深いが、アンコールワットで私達を迎えてくれたのは、Dの父と同じ誕生日のSちゃんである。)
今年のDの道筋はKIN16(=たかちゃん)なので、彼は今、たかちゃんの担う力を経 験する年回りであるが、彼の道筋がKIN16になった誕生日当日、KOZOさんから表紙の最終デザインが届き、そして今日新しい本がリリースされたのだか ら面白い。このアンコールワットにインスパイアーされて生み出されたKOZOさんの素晴らしい表紙は、Dのこの上無いお氣に入りだ。しかし何とい う事か、当の KOZOさんとDは、物理的には一度もアンコールワットには行っていない。ただ、後々こんな展開が待っているとも知らず、たかちゃんと私が訪れただけであ る。そ の時のたかちゃんの銀河の音は7(Attunement,Chanel, Inspire)であり、私の銀河の音は10(Manifestation, Perfect, Produce)、そして二人とも、太陽の紋章は白い世界の橋渡し(Death, Equalizes, Opportunity)であった。
もしかして、それぞれの地球家族には、目には見えない共有の場、図書館の様な 何かがあり、互いがそこにプー ルした時間や経験に自由にアクセスして使い合う事が出来たりするのかもしれない。もちろん、このような事は地球家族に限った事ではないと思うが、誕生日=銀河の通路との関係から、密度濃く起こりやすい(自覚しやすい)とは言えるだろう。
4人で一足早い出版祝いをしたのは、KIN51/青い水晶の猿であったが、何スピンか 前の KIN51には、たかちゃんと私はまさにアンコールワットにいたのだった。たかちゃんも私も、このKINにアンコールワットから互いにカードを送り出しており、それ は今、我が家のリビングに仲良く並んで飾られている。そしてふと氣がつけば、KIN51はたかちゃんの次の誕生日からピッタリ1スピン前!なのであった。
やっと氣に入ったテラコッタの鉢が見つかったので、家中のグリーンを一気に植え替え た。少しずつ集まってきた鉢が、何ともバラバラな感じになりつつあって氣になっていたのだが、ここにオリーブの鉢植が加わって限界点に達した。半日かけてトーンの揃ったものに植え替えたら、まるで魔法の様に部 屋中がスッキリした。別に植え替えたりしなくても全然支障は無いけれど、たったこれだけの事で、部屋だけだなく心までスッキリし、こんなに嬉しい気持ちで 一杯になれるんだから氣になる事は後回しにせずどんどんやろう。
「自分を大切にすると言っても、何をしたら良いか方法が分からない。」と相談される 事が時々あるが、心に思い浮かぶ事を素直に実行に移してみるのも、その一つではないかと思う。自分の心に「思い浮かぶ」その事を、何であれ丁寧に大切に扱 うのだ。些細な事だと蔑ろにしたり、無理な事だと諦めたりせずに。だってそれは、一人一人の心に届く、銀河からの贈り物なのだから。
ニコライ・レーリヒの「シャンバラの道-Shambhala,The Resplendent」を3年ぶりに読み返している。
「何かが間違っているとしたらそれは美しくはないし、美しくないものは何かが間違っている。」とはレーリヒの言葉ある。私も全くそう思う。
「美しい」に間違っているもヘチマも無いかもしれない。が、何かを美しいと感じ る背後には、そう感じさせる理由が必ずある。それは、美しさの中にある普遍的な何かであって、必ずしも特定の現れとは一致しない。一体それが何処から来る のか、その秘密を知る事が出来れば、美しさを味わうだけでなく、人は強力な美の表現者として生きられるのではないか。・・・なーんて言うと難しい事みたい だけれど、固く考えずにゲームのつもりでやってみると、案外宝探しは簡単だ。
例えば、とびきり美味しい料理を頂いたとする。まずは、何故それが自分にとって 美味しく感じられたのかを「意識」してみるのだ。で、果たしてそれは、味だったのか、照明だったのか、焼き具合だったのか、材料だったのか、食感だったの か、彩りだったのか、器だったのか、温度だったのか、テーブルだったのか、香りだったのか、給仕だったのか、カトラリーだったのか、いちいちいちいち見直 してみる(注:いつもこんな事やってたら疲れるので、感動した時だけね)。結果、「あの美味しさは、結局は料理人の愛情から来るものだった。」とわかった としたら、思いきり愛情を込める、という事を、何に限らず自分が実際にやってみたらよろしい。自分のやり方で。料理を通して知った事だとしても、それが本物であるのなら全ての領域に置き換 え可能なエッセンスであるはずだ。
自分を磨くとは、どんなものの中にも存在する美しさの秘密を知ってそれを使うこと 。何か特別な事をする必要は全然無い。ただ、自分の感じる事には誠実でいよう。特に「美しい」と感じる事には。何故ならそれは心の中の宝石だから。レーリヒの言葉に触れる度、日々の生活を、人生そのものを、そして自分自身をアートとして楽しもうと思うのである。
クリスマスの頃、天真書法塾の中国古典臨書発表会がある。今年はインド行きの前に作品 を提出しなければならないので、スケジュールは超タイト!作品を仕上げながらいつも思うのは、何かを創り出す時には、イメージする力と具現化する力の両方 が必要だという事。イメージ出来ないものは創り様がないし、イメージが得られても、具現化する技術がなければ、それは決して形にならない。その2つが出会 うポイントが現実としての現れだ。(だとしたら、何かを形にしたい時は、どちらかをor両方を、決して諦めずにエンパワーすれば良いのだ!)
話は変わるけれど、私たちの朝のテーブルに最近欠かせないものがある。これが美味いっ!
裏手の河原と玉川高島屋の散策(買物ではない)は殆ど日課となっているが、日本一広い玉高のデパ地下は、都会っ子の私でも毎回遭難しかけてしまう。何がど こにあるのか把握しきれていないから、まだまだ探険氣分だ。ある日、富沢商店のカウンターに山積みになった変テコなパッケージを見つけ、1つ買ってみ たらこれが大ヒットだった。その名も「ピーナッツきなこクリーム(通称:きなピー)」。味といい食感といい、焼きたてのパンに塗ると、これがもうやめられ ない。そして何故か楽しい氣分になるのだ。
きなピーを考えた人は楽しかっただろうな。考えながら、それが誰かの食卓を明るくし、喜ばせる事を真剣に願ったはずだ。楽しいパワーに満ち満ちているから食べてみればわかる。 そしてそれを見事に商品化してしまう富沢商店素晴らしい!
現実の世界にあるものは皆、例 外無くかつて誰かのイメージの中にあったものだ(飛行機もパソコンも、テロや戦争でさえもそうだろう)。全て、思い描いたものが形となって現れるのだから、私た ちは、ビジョンの力をどう使うのか、いつも意識的でいた方が楽しいのではないか。書の作品提出に向け、どう少なく見積もってもお尻に火が着き捲っている私 たちであるが、見てくれた人がとびきりハッピーになってしまう書を書き上げようと燃えている。たとえ成田から投函する事になろうとも 「きなピー」に負けるもんか〜。
魔術のカメの日が3回もあった電気(3)の月も終わり、明日から自己存在の月、そして 最初の四半期を閉じる13週目が始まる。この一週間、まるで明後日からの旅に間に合わせるかのように、様々なエネルギーや情報がシンクロニックに流れ込ん で来ている。ダライラマ法王やパドマサンバヴァゆかりの地を訪れるにあたって、多少意識的に関連書籍を読んで来たりしてはいたが、ここに来て一気に波が来 ているなーと感じるのは、こちらの都合だけではどうにもならないような事も含めて全体にある種の統合した動きが見られるからである。
例えば、ここ数ヶ月『ダライ・ラマ/ゾクチェン入門』を読み込んでいる関係もあって、 ゾクチェンとパドマサンバヴァとの関係性についてもっと詳しく知りたいと思っていたら、長いこと休刊していたゾクチェン研究所(中沢新一所長)の通信誌 「セム」が、装いも新たにリニューアルし「6+7合併号」として届いたり、諸々の流れから(月の月10日「シャンバラの道」参照)レーリヒゆかりの地を訪 れる事が確定した後で、高橋夫妻から「レーリヒ・平和の旗」(ホゼ達が世界中を旅して回った時に各地で掲げられていたもの)が私達に届けられたりするの だ。
KIN66に発行された「セム」の66ページには、私が知りたかった内容をそのまま詳 細に論じて下さったかのような、中沢新一氏によるゾクチェン入門講義第3回「ニンティク入門」が掲載されていたが、ニンティクやパドマサンバヴァは、銀河 ツール『7:7::7:7』(注:このツールの日本語版はまだ完成していない)とも密接な関係がある。副題が「マヤの銀河時間のニンティク・テルマ」と なっているだけでなく、マニュアルには以下のような記述も見られるからだ。・・・パドマサンバヴァは「隠された教え」の主要な隠匿者であるだけでなく、ゾ クチェンの伝統の歴史の中でも鍵となる人物として異彩を放っている。ウディヤ−ナ国の乳海(=銀河)湖の真ん中で蓮から生まれた・・・。ここで書かれてい る乳海湖が今度私達が訪れようとしている「蓮華湖」である訳だが(今月頭にリニューアル出版された拙著の表紙は、アンコールワットの乳海攪拌のレリーフの 中央部にあるカメがモチーフになっていたりもする)、このツールの重要なエッセンスである 「パドマサンバヴァの7つの自己宣言」は、パドマサンバヴァの最も有名なテルマ(埋蔵経)「ありのままの気づきで見ることによる自己解放」に対応している らしい。
一方、「レーリヒ平和の旗」は、ホゼ達から高橋夫妻が預かっていたものを、今度は私達 に委ねたいという事で、以前からお話は伺っていたのだが、なかなかタイミングが合わず、結局、世界の橋渡しのWSの最後、そしてパカルの特別な数字である KIN78に、直接手渡しで受取る事になったのだ。ちなみに、レーリヒの旗のデザインの起源は、アルタイ(シャンバラとも関係が深い)にあると言われてい て、ホゼは2000年にアルタイ共和国からレーリヒの後継者のような立場で招かれている。そして、私達は巡り巡ってやってきたその旗を受け取ってから2週 間後、レーリヒが眠るヒマラヤの麓にいるはずだ。
話はあちこちに飛ぶが、今週の初め、即ちチベット民族蜂起の日とシンクロする KIN76(11・戦士)には、九十九里浜で新体道の極意相伝合宿があった。これまでにない実験的な稽古(瞑想が鍵になっている)が行われ、大いに刺激を 受けたが、今回特に感じたのが新体道とゾクチェンの類似性である。「ありのままの気づきで見ることによる自己解放」・・・これはまさに新体道が目指してい る方向性そのものと言って良いだろう。しかし、これを言葉の上だけでなく、身体を通じて実感するには、もっと瞑想を深め、もっと動いてみるしかなさそうだ。
出発間際という事もあって、まとまりなく書き連ねてしまったが、こうした様々な波がひとつに収束するポイントが、明後日からの旅行中にやってくる予感がある。次に、このダイアリーでお目にかかるときは、きっとたくさんの土産話をお伝えできる事と思う。ご期待あれ。