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白いスペクトルの魔法使いの年(2003.7.26 - 2004.7.25) 


共振の月2日(G1/11)11・夜 KIN63「真紅のドラゴンレインボー」(by D)

  今日のサーファークラスは、手帳の中の『7:7::7:7』を中心とした内容だったが、後半には「サイ時間単位(PCU)」についても触れる事ができた。 参加者から具体例を求められたので、その場で今日のKIN63からPCUを辿ってみる事にする→「自己存在の月13日」。手帳でその日のメモを解読すると (私のメモは小さい字でゴチャゴチャと書いているので自分でも解読作業が必要になってしまうのだ)、Lがカイラス山の夢を見ていて、3次元的にはダライ・ ラマ法王が来日している。『7:7::7:7』は、チベット密教の開祖パドマ・サンバヴァやカーラ・チャクラの教え(昨年私達は法王からこの教えの灌頂を 受けている)とも密接に関係しているのだから、これくらいのシンクロは当たり前かもしれない。ちなみに、『20の銘板』でも、今年一年はパドマ・サンバ ヴァと関係している事になっているので、ダライ・ラマ法王が来日したり、マンダラTシャツがそれにぴったりのタイミングで完成したのも偶然では無かろう。

   

  さて、サーファークラスの終了後から新体道の時間にかけて、空では素晴らしいショーが繰り広げられていた。富士山の方向から立ち昇るように見える巨大な雲 の流れ。ある人は天使の羽に見えると言っていたが、私には巨大な龍のようにも見えた。そして雲の合間には「虹」が出現!虹の身体を持っていたといわれるパ ドマ・サンバヴァからのプレゼントだろうか。さらに日が傾くと西の空は真っ赤に染まり富士のシルエットが浮かび上がった。今日、新体道に参加した人は ちょっと得した気分になれたかもしれない。そういえば、今日のクラスでは初めて「立位十瞑想」というのをやってみたが、実は今週のコドンはちょうど「瞑想 /神殿」なのであった。そして夜に見た世界遺産では、エジプトのカルナック神殿やルクソール神殿が取り上げられていた。今日のPCUはKIN85で、 『20の銘板』でも今月に対応している上、まもなくその日(KIN85)が実際に巡ってくる(22日後のG暦2/2)が、きっとその日も今日と同じような 素晴らしい時間を過ごす事になるだろう。


共振の月3日(G1/12)12・種 KIN64「台湾旅行とエジプト」( by D&L )

早朝5時に起床して、気象状況やニュースを確認しようとテレビをつける と、いきなりアスワンの風景とアブシンベル神殿が映し出される。一瞬、昨夜の世界遺産の続きか?と錯覚するがチャンネルはNHK。「律動の月4日」の日記 にも書かれているように、今回の旅の目的の一つは、Lがナイルクルーズで知り合った周さんご夫妻を訪ねる事にあるが、昨夜から続くエジプト情報(ちなみに 来週の世界遺産もエジプト・テーベの続き)は、今回の旅とエジプトとの間に強い繋がりを感じさせる(そういえばナイルで知り合ったというLの南アの友人の KINも64で今日とシンクロしている)。成田エクスプレス1号の席は2人とも7号車7番。まるで昨日の「7:7::7:7」の続きをやっているようだ。成田付近でふと外を見ると、朝焼けの空に小さい虹が出ている。昨夕は太陽の左に小さく かかっていたが、今朝は太陽の右側だ。朝と夕、右と左、この対称性にも大きな調和を感じる。飛行機の席は2人とも44番。「13に対する7は、7に対する 4」の言葉(いずれも中心になる数字の意)を思い出すと共に、私自身にとっての今回の旅の意味を思い出させる数字でもあった。およそ3スピン前に他界した 私の父は、戦時中疎開先の台湾で生まれた。父の銀河の署名は、2人の座席番号の合計数である「KIN88」→8×8=64(今日のKIN)。だから、私に とってはある意味ルーツを辿る旅でもあるのだ。機内で手にした中文版「ナショナルジオグラフィック」には、火星探査、チベット、約3600年前の天文板な どタイムリー&シンクロニックな話題が満載だったが、漢字だらけでもっぱら図や写真を眺めるだけであった。夕方近く、宿泊先の「台北商旅」に到着。503号室にチェックイン。(By D)

今回のホテル「台北商旅 lue suites taipei」は大ヒット!まだ殆ど人に知られていない59室だけの小さなホテルで、空間のセンスはバツグン。やり過ぎ ていないから寛げるし、オペレーションは絶妙で私達のニーズにピッタリ。私達の台北ホームに決定だ!向いの通りにはロクシタンやアニエスbなどがあり、この界隈は青山通りを一 本入った感じに似ている。(・・・違うのは街路樹が巨大なブーゲンビレアだったりすることかしら?沖縄より南だものね。)宿泊客専用ライブラリーでお茶を頂いた後、早速街へ。夕食は、まずはともあれ世界中のグルメ(特に小龍包愛 好家)達が愛してやまない鼎泰豊」へ。 日本にも支店があるが、やはり本店は全然別格。たっぷりの針生姜と黒酢で頂く点心は最高!そして翡翠餃子は極好!!「ハーフサイズ(5個)からオーダーできますヨ。」とお店の人が教えてくれたが、とんでもない。100 個でも行けちゃいそうなほど軽やかで、そして翡翠の様に美しい。私にとってはエジプトのターメイヤ(空豆コロッケ)と双璧をなす魅惑の食べ物だ。

  

食事の後は「知足常楽」で足のウラ揉みマッサージ(台湾式リフレクソロジー)。友人オ ススメの店だけあってとても感じが良く、施術はどこまでも素晴らしく、そして時 々ものすごーく痛い。というか恐ろしく効いてる感じ!(でもまわりの人々は誰一人私達の様に「痛っ!」とか叫んでいない。何故平然としていられるのか不思 議であった。)早朝フライトだったから疲れているはずだが、施術後は一 日の疲れが全て吹き飛び、ホテルまで鼻歌散歩で帰って来た。毎日足のウラ揉みのケアーをしていたら、悪いとこなんて無くなっちゃうんじゃないかしら?心身 のストレスを溜めない事は大切だ。明日は、いよいよ周さんご夫妻を訪ねて台中。(By L)


共振の月4日(G1/13)13・蛇 KIN65「台湾旅行とエジプト-2」( by D&L )

 達人を求めて早朝の公園探検から戻ったD(←達人研究家)とホテルで朝食を済ませ、台北駅から「自強号」で 周さんの待つ台中へ向かう。台北から島の西側を海沿いに2時間ほど南下すると台中だ。台北駅のホームから周さんに電話を入れると、受話器の向こうから「赤い車で 迎えに行くよ。」と元気な声が聴こえて嬉しくなった。列車に乗込み、私達の指定席を探すと車両の一番端。座ると正面は壁。で、その壁だけが何とギザの 大ピラミッド(広告写真)なのであった!それにしても、どこまでもエジプトがついて来るなあ、今回の旅。
 列車はオンタイムに台中駅に到着。周さんご夫妻と息子さんが出迎えて下さり、5人で円卓を囲んでお食事。周さんJr.にお会いするのは初めてだが、彼は 日本向けの貿易関係の会社を経営なさり、亜細亜大学に留学の経験がある。留学当時の住まいは東村山で、私の実家のある駅でJRに乗換えて通学していたそ う。そしてDの大学も私の実家の近くだから、私たちは3人とも時期はそれぞれ違うが同じ場所を行き交っていた事になる!こんな日の来る事を想像する事もな かったが、今、台中で同じテーブルを囲んでいるのだから、美味しいのはお料理だけではない。「ご縁ですよね。」と周さんJr.がケロケロおっしゃる。その 彼のお誕 生日は?と聞くと、これが1月13日とのお返事!つまり今日!!そして明日は私の誕生日!!!
 よーく考えてみた ら、
明日はKIN66で、こ れは私が最初のエジプト旅行(約6年前)に出かけた日のKIN(当時から「13の月の暦」を使い、日記をつけているので、記憶からすぐに引っ張り出せるこ とも多いのです。)今年は新たな道筋(一年)をこのKINで迎えるのだからエジプトづくのもある意味当然。世界遺産やNHKの番組がエジプ トなのも、自強号の壁がピラミッドなのも、すべては時間の法則、誕生日のシンクロニック・プレゼントと思う事にしよう。今日私たちが台中で楽しい 時間を過しているのも、すべてはエジプトでの出会いのせいなのだから。その周さんご夫妻が変わらずお元気でとても嬉しい。お二人の次のご旅行先は「四国」 だそうだ。(By L)

「自強号」の車窓に映る風景は、どことなく懐かしい感じがする。新竹駅に 停車した時は、「この辺りが、赤ん坊だった父が過ごした場所なのだなー」と感慨にふけっていたが、そのうち眠りこけてしまった。それにしても、目の前に あった広告は面白かった。先にLも書いているが、ピラミッドの前にらくだと4駆車が並んでいて、車のサイドには「555」のステッカー。7号車だった事と 合わせて考えると、まるでLのプレ誕生祝いのようでもある。何故なら、彼女は共振(7)の月5日生まれで、カバラも5、月の28相も25(5×5)と5に はやたらと縁があるからだ。私は、周さんにお会いするのは初めてであったが、お名前が父と同じだったこともあって(読みが一緒で字は1字違い)、ご縁を感 じずにはいられなかった。また、お忙しい中ご一緒して下さった周さんJrの銀河の署名がKIN25だったり(これは私達がかつて紫禁城に行った日でもあ る)、ご夫妻の次の旅行先候補が「四国霊場88ヶ所巡り」だったり(私の父がKIN 88)、様々な次元での繋がりを感じるひと時であった。暖 かいもてなしをして下さった周さんファミリーに心から感謝しつつ「復興号」に飛び乗って(チケット代は241元)台中を後にする。一度ホテルに戻ってから 夜の街へと繰り出すが、一番近い地下鉄の駅「忠孝復興」にも何故かエジプトの神々のレリーフがズラリ。台湾では今エジプトが旬なのだろうか。「西門」駅で 降りて、天后宮、龍山寺、夜市などを巡る。龍山寺は、賑やかな夜市に囲まれるように建っているのだが、祈りのフォースフィールドに守られているせいか、心 は自然に静まってしまう。仕上げは、昨日に続いて「知足常楽」。足湯の時手にした雑誌で、さっき私達が手を合わせたのは、観音菩薩、文殊菩薩、天上聖母、 関羽帝だったと判明。大事なところは押さえていたようだ。(By D)


★台湾の人々の信仰の中心、龍山寺。夜10時近くになっても真剣に祈る人でいっぱい。


共振の月5日(G1/14)1・世界の橋渡し KIN66「皇帝達の至宝」(by L&D)

一日中「故宮博物院」で 過ごす。もともとは北京の紫禁城の歴代皇帝の宝物が、ここ台北の故宮博物 院に納められているのだ。内容は・・・想像を絶するものがあった。作品を見て真似をすれば、技術的には同じものが作れるのかもしれない(もちろん、それだ けでも大変な事だ)。しかし、一体何処 からそれを創ろう(生み出そう)というアイディアやエネルギーがやってくるのか?今あるものを土台にしては(今の常識に縛られていては)このようなものは創り出せな い。大げさかも知れないが、 私たちが持つ思い描く力、形にする力、通路として全てを開け渡す事の可能性を見た氣がした。そんな訳で、足が棒になろうが、お腹が空こうが(そのせいでちょっと不機嫌になろうが)、とにか く、一日中 皇帝達の宝物のエッセンスを、この身にダウンロードして過した誕生日なのであった。朝から晩までずっとつき合ってくれたDに大感謝!・・・そして夜ホテルに戻るとスタッフが「お誕 生日おめでとう!」と、トルコ桔梗の花束と小さなチェリーケーキを用意して、私達の帰りを今か今かと待ち構えていた!デザートを済ませたばかりだったというのに、 ホールのケーキを2人で平らげその日は終了。 (byL)

  

★今回のお目当ては何と言っても書。今、書法塾で約3000年前の「金文」を書いているのだが、現物の青銅器に触れられてラッキー。チベット法器展も洗練された素晴らしいものばかり。さすがに皇帝への献上品だ。

チベット仏教法具の特別展示を見ていて、以前、紫禁城(故宮)を訪れた時も、期間限定 のチベット仏教特別展が行われていた事を思い出す。政治的な関係がどうだったのかはよく知らないが、少なくとも当時のチベットと中国には文化的な尊重と交 流があったのは確かであろう。物事の多様性を認め、互いの違いを尊重する姿勢があれば、今だってすぐにそういう関係を実現できるはずなのだが・・・。とこ ろで、Lがお土産コーナーで入手した中国書法の本は、そのシリーズだけが期間限定の特別割引価格で販売されていた(購入時に初めて気付く)。誕生日にわざ わざ日本から学びにやってきた彼女への先人達からの贈り物かもしれない。(byD)


共振の月6日(G1/15)2・手 KIN67「台北でのお買物」( by L&D )

お買物を「未来の自分への贈り物」と考えると楽しい。今回台北では書道具とお茶を手に入れた。「勝大荘」で は筆を6本ほど。牛耳、狸、 鼬、羊の毛など、材質や太さの異なる筆を直観で選ぶ。実際に使用してみないとわからないが、何においても、まずは心ときめく 道具を選ぶことは大切だと思う。この買いっぷりが気に入られたのか、いきなり勝大荘VIPカードを発行して頂く。そして「全祥茶荘」では、中国茶を10種 類程、お茶の本場であるのを良い事に、極上精製品のみを片っ端から量り売りしてもらった。何という贅沢!お茶の名前は発音が難しいが、筆談で意志の疎通は バッチリ。こんな時、同じ漢字文化圏にいるのだなあとしみじみ思う。 今日は台北最終日。お買い物を終えて空港へ。VIPカードもある事だし、又来なくて は。 (byL)

 

勝大荘で見つけた米ふつと蘭亭の作品収録本は装丁も素晴らしく美しかったが、こちらも 購入時に初めて期間限定特別価格の商品だと判明。結果、割引後の2冊の合計金額は1320元に!狙ってできるものでないだけに『13の月の暦』ユーザーと しては割り引かれた事より嬉しかったりする。空港でランチとお茶をして、両替した元をほぼ綺麗に使い果たす。残金の64(8×8)元は、今回の旅の初日のKINとシンクロする数でもあるが、再びこの地へ来られるようおまじないとして取っておく事にした。(byD)


 

共振の月8日(G1/17)4・月 KIN69「東京に初雪!」(by L)

 今日は仲良しのみんなで、生後2か月の赤ちゃんに 会いに行った!すっごく嬉しかった!ここまでの道のりの何と長かった事!・・・というのは赤ちゃんのママと私たちは何かにつけ良ーく遊んだ仲だったの に、2年半前に彼女がお嫁入りしてからというもの、私たちと全く遊んでくれなくなった。(皆のまとめ役で、自らを「会長」と呼ばせる程だったのに!しかも お嫁に行った先も都内だから近いのにー。) しかしそれは彼女が結婚して幸せな証拠・・・ということで自分たちを納得させ「私たちは嫁に行こうがずっと会い続けましょうね。」などど誓い合っているの だった。そして数日前のこと、突然会長から以前と変わらない調子で「今度の土曜日さ〜、遊びに来なーい?」と連絡が入った時には一同騒然となった!もちろん万 難排して皆で行きましたとも!(珍しい事をすると雪になるという諺があるが、なるほど今日は雪だった=会長のせい。)それにしても、やっぱり友達は良い ものですね。その一言につきます。ちなみに赤ちゃんは「13の月の暦」の提唱者、ホゼ・アグエイアス博士と同じKIN11(青いスペクトルの猿)の生ま れ。きっと飛び切りかっちょ良い時空のサーファーになるでしょう!

★午前中は「名筆鑑賞会」へ。300年の時空を越えて白隠禅師の真書に対面!この日の感動をいつか作品に現せたらと切に願った。


共振の月9日(G1/18)5・犬 KIN70「台湾極好!」(by L)

今、周さんご夫妻に頂いたお土産のお菓子と凍頂烏龍茶を頂き ながら書いているのだが、行く前に想像してたのよりもずーっと台湾が好きになって帰って来た。台湾には「故宮」の外にも宝物がたくさんある。温かくて親切な人 たち、日々の美味しいもの、人生の時間を楽しむ氣持ち。どこも皆お掃除が行き届いている(ゴミが落ちてなかった!)し、古い建物であってもピカピカな氣分。路上のバイクの駐車の仕方一つに も、キチンとしていて(まるでバイク屋の店先の様!)、そしてお互いを氣遣う優しさが出ている。働いている人のイヤイヤな顔を一つも見なかった。これだけでもすごい事だと思う。何だかうまく言えないが、質の良い人たちだなあ。これからは、何かと理由をつけては台湾に 遊びに行くことにしよう。


共振の月10日(G1/19)6・猿 KIN71「ドリームスペル東京入港!」(by L)

ついに「ドリームスペル」が東京に入港した!英語版の初リリースはG1991年10月1日 (KIN1)だから、それから約13年が経過したことになる。実は私の誕生日から10月1日までは丁度1スピン離れている。つまりG1991年10月1日 の1スピン前、1月14日もKIN1であったのだが、その日私は羅漢の登記を行い新しい事をスタートさせた。それから13年後の今年の誕生日 (KIN66)は数日前に台北で迎えたばかりだが、丁度その日ドリームスペルは香港から船に積まれ出航。この13年の間に私は「13の月の暦」に出 会い、ドリームスペルの制作にも関わる様になってしまった(というか、責任者は私)。当初台湾旅行は昨年の予定であったがSARSの影響で今 年に延期、一方 ドリームスペルの完成もいつになるかわからない状況が続いていた。それなのにまるでドリームスペルを迎えに行ったかのようなタイミングの旅!・・・ところで KIN66は「白い磁気の世界の橋渡し」で、ドリームスペルの「地球のホロン」では日本の生態系にも対応。そして「PAN Japan Library」の サイトがオープンした日のKINでもある。だからきっと1スピン後のKIN66には、今回入港のドリームスペルの配布がスムーズに行われ、一つ残らず皆に行き渡っている事でしょう!


共振の月11日(G1/20)7・人 KIN72「カレー煎餅」(by L)

 会うだけ で人を元気にしてしまう人っている。私にとっては、書法と新体道の大先輩であるNマダムがまさにそう。今日マダムに伺った話は最高おかしい!始まりはこう だ。お会いするなり、まるで号令をかけるかの如く元気なお声で、「あなたに秘密のお土産があるのよ!はいっ、これっ!」とブルーのバッグを渡され「外には 出ないものなんだけど、絶対にあげたい人がいるからってメーカーから無理やり巻き上げて来た!」・・・カレー味のお煎餅だった!(絶対あげたい人というの は、実はワタクシでは無く大典←カレー男。ご自身も相当なカレー好きのため、特別に親近感を持って下さっているらしい。ありがたや。)マダムは人をビッ クリさせたり喜ばせたりするのが大好きで、それはお母さま譲りとのこと。マダムが子供の頃、お母さまはよくご近所に氣前良くお裾分けをなさり、端で見てい て「自分達の分がなくなっちゃうー!」といつもハラハラしていたそうだ。・・・で、ある日、お母さまが配り過ぎて本当に自宅用が無くなった。マダムはどう したか?・・・いてもたってもいられず内緒で隣のお家に押し掛け「さっきの返して!」と取り戻しに行ったそうだ。子供の頃からやるなあマダム!(この話は 芦屋の親戚一族の間で語り継がれているらしい。)そして、さっき良く見たら頂いたカレー煎餅の袋に「カレー氏へどうぞ!!」と恐ろしい程オヤジギャグのメモが 貼付けてあった。しかも内容に似合わな過ぎる美しい字で!・・・こうして、ますますマダムのファンになりゆく私であった。


共振の月16日(G1/25)12 ・地球 KIN77 「亀山から伊勢高麗広へ」(by D)

春に予定されているホゼ・アグエイアス(13の月の暦提唱者)来日ツアーで、伊勢の講演会を主催されるMoonさん、山猫さんらと津駅で待ち合わせ、亀山のオーガニック・レストラン「月の庭」へ と向かう。亀は一般に甲羅が13個に割れている事から、『13の月の暦』では13番目の月のトーテムアニマルとして登場したり、『テレクトノン』の駒に なっていたりするが、その亀(の)山の「月の庭」でおいしいランチを食べながらホゼ来日講演の話をするなんて、さすがにサーファー仲間(時空のです、念の ため)の会合だ。ところで、今回初めて知ったのは、この亀山という場所が東海道53次の46番目の宿場町だったという事と、あの有名なカメヤマローソク発 祥の地でもあったという事である。ちなみに、毎年律動の月13日はクリスマスで、20日はG暦元旦にあたるので、最近はまとめて「Happy13: 20days」といった具合にお祝いをしているが、今年(白いスペクトルの魔法使いの年)は、クリスマスがKIN46で元旦がKIN53に当たっていた ので、「53次46番=2013」と見ることもできて、完成したばかりのドリームスペル(日本語版)とも見事にシンクロしている事がわかった。さらに、KIN46(白い共振の世界の橋渡し)は、惑星ホロンで日本のエリアにも対応しており、現在日本で出回っている「13の月の暦」や「手帳」の制作者であるKOZOさんこよみ屋の銀河の署名でもある。

伊勢内宮へは国道23号を通っていくのだが、この23という数字は太陽周期の一つ(通常約22年だがホゼは23年という時もある)とも関係が深いので、天 照大神へと繋がる「太陽の道」のようなイメージがある。今日知ったところでは神宮の巫女さんの定年?も23だそうだし、先の46の1/2であるのも興味深 い。さて、G暦的には1月最後の日曜という事もあってか交通規制がかけられており、内宮前に入る道は夕方まで一般車両侵入禁止だという。やむなく「おかげ 横丁」を入っていくと、あっという間に人の波にもまれ、もはや後戻りができない状況となる。「こんな人混みの中をどういうつもりだ!」という痛い視線にも めげず、ついに宇治橋前まで突っ切ってしまわれた山猫さんの勇気に敬意を表したい。何故そんな無理までしたのかと言うと、講演会会場となる公民館が、宇治 橋前を通過してさらに五十鈴川沿いに車で20分ほど山道を登った辺りにあるからなのだ。昔小学校だったというその場所は、高麗広(こうらいびろ)と呼ばれ る神宮のご神神域の中にあり、静かな森に囲まれている。2012年そして2013年のメッセージを携えてやってくるホゼを迎えるにあたって、これ以上素晴 らしい会場は無いだろう。   

日が暮れる前に「神宮会館」へ と送っていただき、皆さんとはそこでお別れする。お伊勢参りのときはいつもここに泊まるが、まるで自分達の家のようにリラックスできる素晴らしい宿であ る。貸切状態の「すし久で夕食を済ませた後、お昼に「月の庭」で見かけた『伊勢の神宮』(南里空海著/世界文化社)という本を宿のロビーで発見する。美 しいカラー写真で伊勢の魅力を余すところなく伝えていて、それだけでも十分価値のある本だが、2013年に行われる予定の式年遷宮についても詳しく書かれ ている他、なんとわずか2ヶ月ばかり前のダライ・ラマ法王14世の歴史的初参拝までもが掲載されていた!もちろん、今この本に出会えた事に感謝して入手し たのは言うまでもない。

  ★神宮の森とおかげ横町の月。そして青い夜。


共振の月17日(G1/26)13 ・鏡 KIN78 「神宮の鹿&横丁の招き猫」(by D)

 G暦では月曜という事もあって、大浴場は貸切状態。朝日が差し込む湯船でゆったりくつ ろいでから(もちろん身を清めてもいる訳ですが)、お参りに向かう。おかげ横丁で出会った白装束集団(真剣さが感じられる)を追うようにして、宇治橋を渡 る。寒い時期はどこかに避難しているのか、御手洗場に鯉の姿は見えない。澄み切った空気に玉砂利を踏みしめる音、気持ち良さそうに鳴いている鳥の声などを 感じながら正殿階下に辿り着く。ふと、森の中で動く影に目をやると、何と数頭の鹿たち!今や年に数回は訪れる程、神宮フリークの私達ではあるが、鹿の姿を 目にしたのは今回が初めてである。きっと初詣で鹿島神宮に参拝したからに違いない(どうやら鹿のテレパシーネットワークがあるようだ)。
 

 
 既に、団体さんに よる参拝も始まっていたが、私達が正殿前に立った時は、ポッカリ空間ができてゆっくりとお参りする事ができた。手を合わせると簾がふわりと上がってやさし い風がスーっと吹いてくるのが感じられる。しばし祈った後、2013年に遷宮が予定されている西御敷地の前を通ると、何やら神職が団体さんに説明をしてい る。曰く「遷宮は20年に一度と決まっていますが、天皇の発令無しに行わる事はありません。また次期遷宮のための発令が間もなくあるはずです。」との事。 「なるほどいい勉強になった」などと思いながら階段を下ると、1000人規模の大集団がザクザクと列を成して正殿に向かっている。どうやら団体さんのバス が続々と到着し始める時間らしい。1月最後の大安(後に判明)で快晴だったせいもあるのだろうか、平日とは思えない賑わいである。今回、クリカとしてはじ めてご祈祷をお願いする。神楽殿は団体さんで既に混みあっていたが、御饌(みけ)殿は私達二人と東京は青梅からやってこられた方の計3名のみ(祝詞の際住 所が分かる)。伊勢の御饌殿でご一緒するのが東京の方というだけでも「広い日本で何でわざわざ」という感じだが、青梅といえば『13の月の暦』普及の先駆 者、高橋夫妻が住んでいるところ。これはもう「13・鏡/パカルの特別な数字」の魔術の力と思うしかない。 その後、古殿地裏手の日当たりの良い場所(私達の中では、神宮内で一番のお気に入りスポットである)でしばし日向ぼっこをしてから、荒祭宮へと向かう。

 

無事にお参りを済ませ、おかげ横丁の「カフェ・ジュビディ」で少し遅めの朝食をいただく。ここのカレーとコーヒーも私達のお気に入りの一つである が、これに飽き足らず甘酒やら団子やらを買い食いしながこの街の魅力を堪能する。途中、巨大な招き猫像を見かけて、20日前の鏡の日(6・鏡=高橋いづみ さんのKINでもある)に住吉大社で引いたおみくじの事を思い出す。鹿島に続いての大吉だったので、それ以上何も望む必要は無いのだが、「幸運のカギ」と して何故か「招き猫」が書かれていたのが印象に残っていたのだ。そこで記念に写真でも撮ろうかと猫像に近付くと、何とそいつは「招き猫専門店」の看板猫 だったのだ!まんまと招かれて店の中に入ると、それこそありとあらゆるタイプの「招き猫」でそこらじゅう埋め尽くされていた。住吉さんのアドバイスと周 期、そして伊勢おかげ横丁の専門店。これだけ揃うとさすがに手に入れない訳にはいかないだろう。2匹セットのやつを入手して2人で1匹ずつ預かる事にす る。神宮会館前から55系統(今週のコドンは55・知恵がわき起こる)のバスに乗って、大満足のうちに帰途についた。


共振の月23日(G2/1)6 ・種 KIN84 「祈り」( by L )

 昨日から2日に渡り書法の発表会。昨G2003年、中国で行われた『鎮江市主催 米ふつ紀念国際書法展』に天真書法塾生32人がチャレンジし、奇跡的な事に何と全員が入選入賞!「天真書法塾の指導法には何か秘密があるんじゃないか?」 とその道の関係者を唸らせた。(もちろん秘密はいっぱいある。)鎮江の博物館に展示されていた作品が4か月ぶりに戻ってきたので、先生方に感謝と報告のため、そして皆で歓びを分かち合 うため、半蔵門のギャラリーで塾生仲間で凱旋発表会をした。久しぶりに作品を眺めると、自分達が書いたと思えない程すごい迫力!作品は、落款を済ませたら 作者の手を離れて一人歩きするものなのだなあ。
 夕方、発表会終了間際にギャラリーに到着すると、前でTさんにバッタリ!私が出品しているのは知らずに、全然別の用事で同じ建物に来ていたそうだが、このタ イミングのすごさに、Tさん、引き返して発表会を見て下さる。Tさんはクリカで開催している「新体道」のクラスにも参加して下さっているので、書だけでなく、その創始者でもある青木天外(宏之)先生を直接ご紹介できて良かった!
 発表会終了後は、まるで作品仕上げるかの如く全力投球のパーティー。みんなの個性が炸裂して本当〜に楽しかった!こんなパーティーは久しぶりだ。私は司 会を任命されていたので皆と話せる時間はあまり無かったが、素晴らしい先輩、素晴らしい仲間たち囲まれて幸せだなあと実感。「書は散(解放)なり」とおっ しゃる青木天外・吉田花徑の両先生の元で無ければ書は学んでいないだろう。この秋、初のグループ展 を催す予定だが、ずっと決まらなかったそのタイトルを、今夜のパーティーのあと「祈り」に決めた。

★米ふつの「元日帖(元日明窓焚香西北向吾友其永懐可知)」の冒頭を臨書し第一席「鎮 江博物館館長賞」を受賞した。始めたばかりの私には身に余る賞!それなのに、次の展覧会はこの受賞のせいで何と私は「招待作家(!)」、審査は無いそう だ。あった方が燃えるかも・・・と思う自分がちょっとこわい。


共振の月23日(G2/1)6 ・種 KIN84 「シャンバラのスユア」( by D )

半年ほど前から山川夫妻のメルマガを購読しているのだが、G1/11付けの亜希 子さんの文章には、記憶の回路(スユア)を開かれる思いがした。内容は、その日新聞に出ていた「奄美大島に暮らす若夫婦と白い犬(タシという名前)」の記 事が、実は亜希子さん達のよく知るご夫婦について書かれたものだったという事と、ハワイ島にいるご友人のユリカ・マクラクリンさんが飼うことにした犬に、 山川夫妻が同じタシという名を付けていた、というようなものだったが、普段新聞をとっていない私がたまたま日中実家にいて同じ記事を目にしていた事や、数 日前にユリカさんとメールで連絡を取ったばかりだったこと(しかも1年半ぶり位)等もあって、読んでいる最中から「波が来ている」のをビンビンと感じてい た。そして、「タシ」という言霊が記憶回路を一気に繋いでくれた。チベット語で「吉祥」を意味するこの言葉は、山川夫妻が翻訳された『第11の予言』 (『聖なる予言』の続編で原題はシャンバラの秘密」)に出てくる少年の名前でもある。そもそも私が亜希子さんとご縁を頂いたのは、2001年3/10芦屋 でのお二人の出版記念講演会(亜希子さんが『第11の予言』を、ユリカさんが『ハワイアンリラックスのすすめ』をリリース)での事だった。私はお二人の話 を聞きに行くつもりだったのだが、ユリカさんの提案で急遽スピーカーの一人に加えて頂く事になり、「お二人の出版記念なのにお邪魔して良いものだろうか」 と戸惑いつつも、シャンバラとマヤ、ハワイの関係などを暦と絡ませてお話したように記憶している。そういえば途中で新体道も少しやったから、クリカの原型がこの時既に姿を現していたのかもしれない。

  ★「人生を変える力 第十一の予言」原題は「The Secret of Shanbhala 」
 
当日は、『13の月の暦』で33週目、KIN66(1・世界の橋渡し)だったのだ が、それから1スピン(260日)後の同日ユリカさんがハワイで電撃結婚をされ(私はLと「チベット建築巡礼写真展」を鑑賞)、そこからさらに1スピンが 経過して自分の33歳の誕生日をKIN66で迎え(この年シャンバラと関係の深いカーラチャクラの灌頂を受ける)、さらに1スピンが経過して「マヤ文明 展」を見、さらに1スピンが経過してLの誕生日に故宮博物院で「チベット仏教法具特別展示」を見た事になる。これが”スユア”というものかもしれない(お そらくそのごく一部であろうが)。これら一連の事に気がついたのは台湾に旅立つ前日だったが、整理できないまま時間が過ぎ、結局今日になってしまった。だ が、それもまたシンクロなのだという事に気付かされた(再び実家にいたという事も含め)。何故なら今日の新聞には、中沢新一氏(私がチベット密教に興味を 抱いたきっかけは、高校時代に読んだこの方の本だった)の記事が載っていた他、世界遺産のタイトルが「雲南秘境・ここがシャングリラ」と書かれていたから だ。雲南についてのシンクロは「倍音の月25日」のダイアリーにも書いたが、放映された映像の中には、週刊朝日に出ていた写真と殆ど同じ場所から撮られた であろう風景もいくつかあったので、デジャヴのようにも感じられた。『第11の予言』のテーマは「祈り」であった。暦を使うという事は「祈りの場」を保持 し続ける事にも関係しているように思う。今こうして活性化しつつあるシャンバラのスユアも、多くの人がライディングすればする程強化される事になるだろ う。情報共有の意味はそこにあるのではなかろうか。


共振の月25日(G2/3)8 ・世界の橋渡し KIN86 「節分」( by L )

リクエストに応えてパスタを作った。シチリア産の天日干しドライトマト、 フレッシュ・バジル、エンリギ。そして低温で56時間乾燥させたルスティケーラ・ダブルッツォのパスタ!材料を並べただけですでに美味しそう〜。しか し・・・ガガーン。張切って作ったというのに、この世のものとは思えないほど塩っ辛いパスタができてしまった。大ショック!これほどのもの作ろうと思っ たって作れるものではない。・・・一体何がいけなかったのか考えるに、今日の乾燥トマトに豪快に含まれていた「塩」が計算に入ってなかったせい。考えても 仕方ないので、急きょ口直しに玄米ご飯の鉄火丼をサっと作り、何事も無かった様にテーブルに並べた。料理はちょっと得意なので「リクエストのパスタ」→「突然の鉄火どんぶり」の動揺が隠せないが、まあ、こんな日もあるさと脳天気で行こう。ワハハ。今日は節分。豆まきして料理の失敗も追い出しちゃえ!


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