13の月の暦には毎月の問いかけがある。「太陽の月」は【どうしたら私の目的に達するのかーHow do I attain my purpose?】というものだが、「磁気の月」の問いかけ【私の目的は何かーWhat is my purpose?】と一緒に考えると面白い。「太陽の月」と「磁気の月」は、まるで音楽の様に4次元の時間パルサーで響き合っている関係だ。・・・ 目的に達するためには、まずは目的を知らなければ。それが無ければ何処にも行けない。太陽の月1日の今日は、朝から時空のサーファークラスと新体道のクラスであったが、磁気の月1日には、子供の城でクリカ主催による「レインボー・パーティー」で皆で新年を祝ったのだった。響いてるなあ!
今日はチベット暦新年から一つ目の満月。ダラムサラでは、ダライラマ法王によるムンラムのティーチングの始まりだ。我が家では夕方から友人達とカレー・ パーティーとなった。何て事ない話にみんなお腹がよじれる程笑い、お酒が一滴も入らないのに全員ハイになっていた。これって一人では絶対に辿りつけない境地!ある意味、読響の様なチャントの様な感じ。笑い 過ぎたせいか、満月のせいなのか、ゲストを送り出した直後、熱い風呂に浸かると突然睡魔に襲われそのまま誘拐される様に爆睡。眠りに就く時、枕元の時計を見たらまだ9時だった。
亡命チベット人の暮らす街、ダラムサラでは、どの店にも必ず、ダライラマ法王の写真と 並べて、法王のある言葉が掲げられている。最初にその内容を目にした時、チベットを侵略し虐殺し続ている国に対する怒りや憎しみではなく、自分達ばかり か、それを読んだ人すべてが元気づけられるような言葉をスローガンとして掲げる社会に少なからず驚き、そして感動を覚えた。小さな食堂でチベタン・パン ケーキを食べながらノートに書き写して以来、その言葉はいつも私の中にある。ダライラマ法王を始め、ダラムサラのチベット人は(2世を除けば)、一人残ら ず6000M級のヒマラヤを超え命懸けでインドに逃れて来た人々だ。今も尚、チベット人として生きる自由を手に入れるため亡命する人々が後を絶たず、その 歴史はすでに40年を超えている。個人の人生にとっては氣の遠くなるほど長い時間だが、仏教徒であり同時にチベット人の指導者でもあるダライラマ法王は、 対話による中道的解決を徹底して訴えて続け、武力による解決や暴力による報復をチベット人に許していない。そればかりかハンガーストライキについてさえ、 自分の命を傷付ける間違った勇気であり、それによって他者を脅すのも暴力の一種であるといましめている。「Never give up」 祈りにも似たこの言葉に触れる時、亡命の人々を思い、そして今なお圧政に苦しむ人々を思う。今日はチベット民族蜂起45周年。今週土曜、渋谷でピースマーチが行われる予定。国旗掲揚で投獄!されてしまう彼等の換わりに旗を持ち、せめて渋谷の街を行進しようと思っている。
Never give up (by H.H. the 14th Dalai Lama)
Never give up
No matter what is going on
Never give up
Develop the heart
Too much energy in your country is spent developping the mind
instead of the heart
Develop the heart
Be compassionate
Not just to your friends
But to everyone
Be compassionate
Work for peace
In your heart and in the world
Work for peace
And I say again
Never give up
No matter what is happening
No matter what is going on around you
Never give up
打合わせを兼ねて三茶のチャカティカで 食事。あまりの美味しさに「100皿でも食べられちゃう!」と大絶賛したら、キッチンの可愛いお姉さんが、チャカティカ・カレーの極意を特別に伝授してく ださる。なるほど〜目からウロコだ。次回からさっそく試してみよう。それにしても、チャカティカって何もかも「丁度良い」店。店の魂と実際の空間の在りよ うが、まるで誂えた服の様に全てピッタリ。故にバッチリ氣が通っていて、居るだけで嬉しくなる。(これって店だけではなく、何においても大切な要素なのかも知れない。同じ様な雰囲気の店、吉祥寺のKuuKuuが 最近クローズしてしまい残念だが、KuuKuuは、空間の方がちょっとデカ過ぎたのかも。KuuKuu復活の日を祈ろう!)ともあれ、ご近所レストランとして、今、チャカティカが一番のお氣に入り。 美味しいお皿の極意も沢山たくさん教えてもらおう。「春だ!ダイエットしなければ!」と言いつつ、全くもって言動の一致していない私である。
太陽(=9)系に新天体を発見「SEDONA」と命名、と米航空宇宙局(NASA)が発表した。イヌイット族の海の神にちなんで「SEDONA」と名付けられたそうだが、同じ地名の場所が米アリゾナにある。
私がその場所を訪ねたのは今から9年前の事だ。13の月の暦とはSEDONAを旅した時に出会ったので、今となってはある意味故郷の様にも感じられる。実 は、その時の旅の候補地はマチュピチュだった。ところが、どこでどうやってもマチュピチュに繋がらない。旅に出る事は決まっているのに、何かがおかしいと 感じていた。そんな中、瞑想中に「セドナ」という音がやって来た。・・・どうやら地名らしい。そうか、目的地が違っているのかと思い、本当にそんな場所が あるのかどうか早速調べた(私自身セドナの事をまだ知らなかった)が、簡単ではなかった。当時セドナはメジャーな場所では なく、普通のトラベルガイドには出ていなかった。たった9年前ではあるが、インターネット環境も充実してはいなかった。調べようにも、Sで始まるのか、C なのか、セドナのスペルさえ分からなかったし、第一どこの国にあるのかも分からなかった。・・・という事態にも関わらず、グレイハウンドの全米バス路線図 に超〜ちびっこく「SEDONA」の文字を発見!探している場所は米アリゾナにあるらしいと分かり、とにかく目的地をSEDONAに決めた。
そして。ここからが早かった。LAのバイク乗りの友人の顔が浮かんだので電話したところ、セドナに行って来たばかりだという。「何でキミがセドナなんて 知ってるの?アメリカ人だって知らないのに。ネイティブの人達の聖地だよ。」そしてもう一人、当時の私の瞑想の先生に電話したところ、「あ、知ってます よ!ライトボディーの集まりがあったばかりだから。」とのお返事。フェニックスからの道路地図を借りて帰宅すると、まるでマンガの様に「セドナ地球際」と いうDMがポストに入っていた。その2週間後にはLAを経由してフェニックスへ飛び、セドナへと車を走らせていた。そして、あるチャネラーから「13の月の暦」 を紹介される事となる。この旅以来、大きなシンクロニック・ウェイブをより自覚しやすくなった様に思う。心の中のかすかな音に注意を払わずにいたら、決し てあの時セドナには行っていないだろう。流れを作りそれに乗るコツは、たったこれだけの事かも知れない。
太陽の月に入ってからというもの、SEDONAにご縁がある方の来訪がずっと続いている。だから新天体「SEDONA」の話はとても合点が行くのだが、面白い事を思い出した。発表された今日の日付けは、太陽(=9)の月9日 9・世界の橋渡し。「これからあなたは“9”に注目していてね。」とセドナのチャネラーに言われていたのだった。今、あれから9年が経過している。そして自らのカレンダー・ラウンドまで9年である。
「銀河の虹」さん主催のワークショップのため松本にうかがった。松本では、とても素敵 なMさんご夫妻宅にお世話になり、良い刺激を本当に沢山受けた。銀河の署名を調べてみると、ご主人はキン176・黄色い共振の戦士、奥様はキン46・白い 共振の世界の橋渡し。ピッタリ130キン離れている「反対のパートナー」の関係であった。(ここに赤い竜と青い猿の私達が加わって「基本の地球家族」の 一丁上がり!しかも私以外は全員共振チーム!でも私だって共振の年の共振の月生まれなのよ。)ツォルキンの中央、神秘の7番目の柱を通過中に、共振 (7)の音を持つご夫妻とお目にかかれるなんて何とも楽しい。奥様は、私達の親しい友人と365日の誕生日が同じであるばかりかお名前まで同じだと知り、 増々親しみを感じた。でも、それだけでは無い。
★Music—Pink and Blue II, 1919
松本から戻って2日目の今日、外出先のロビーにジョージア・オキーフの巨大な画集が飾られているのを発見!とても急いでいたのだが、これを観ずして帰れよう か。理由も糸瓜も無い、オキーフはいつだって我が心のスーパースターだ。しかも彼女の銀河の署名は、白い共振の世界の橋渡し。松本でお会いしたばかりの Mさんの奥様とも同じである。(NYで過した20代後半の頃、オキーフの作品に会いに行くのは本当に簡単な事だった。NYでは、どの美術館も遅くまで開館し ている日や無料開館の日があり、通りがかりに10分、とか気楽に通ったものだった。)今日の画集の中にあった「スペシャルNo.13」という木炭画には圧 倒された。この作品についてオキーフ自ら「私の中にある、これまで人から教わったどんなものとも違う、いろいろなことが溢れ出たもの」と述べている。確 かに、オキーフの魂そのものが描かれているのは全てそれ以降の作品といっていい。観ているうちに、まるでオキーフがオキーフになった瞬間を追体験してい るかの様な気持ちになり、胸が熱くなった。「もし私が、人に氣にいられる事ばかりを考えて、私の書きたいものを書かないでいたら私はバカになる。」こう言い放ったかっちょ良いオキーフにも、きっと様々な過程があったことだろう。
今私は傅山の紀年書法展「傅山に挑む」の出展準備の最中である。320年前の天才前衛書家、傅山の書いた七夕の 漢詩を、ただただ臨書しているのである。臨書している最中は先が見えなくて、一体いつまでこれが続くのだろう、一体これから何人の天才を臨書すれば良いの だろうかと、せっかちな私は時に気が遠くなり煮詰まることもある。しかし今日、オキーフの木炭画を観て、私の「スペシャルNo.13」に出会うためにひたすら書こう!と 明るく思えた。臨書が人から教わる事だとすれば、それをやり尽くし、そこを吹き抜けた時に溢れ出るものが私自身の書であるに違いないのだから。
新しい時間の使者:ホゼ・アグエイアス来日!(私たち“2012チーム”によるリポートは近日中にまとめる予定!お楽しみに!)で、怒濤のジャパンツアーの最中ではあるが、今日は朝から新宿常円寺で行われたチベット密教の実践法話に参加した。ブダガヤからの知りあいに再会できて嬉しかった。平岡先生の分かりやすい話にも大納得!老辺餃子館でランチ(驚異的なプライスバリュー!)のあと、午後も引き続き常円寺にて映画「モゥモ・チェンガ」を 観た。モゥモ・チェンガとはチベットよりネパールのポカラに逃れて来た主人公の名前で「満月のおばあさん」の意。実在のチベット難民のおばあさんの在り のままの日常を淡々と追っている。ストレートで力強いメッセージが伝わって来るのは、ほとんど作為的な事がなされていないせいだろう。映画が出来上がった いきさつも含め「銀河連盟は静かにやって来る」という言葉を思い出させる素晴らしい一本だった。ちなみに、主人公のキャスティングが決まったのは、ヒマ ラヤを超えて瞬間的に伝わったテレパシーによるものだそう。どこかで機会があったら、是非みんなに見て欲しい作品。