■太陽の月5日(G3/11) KIN22 白い太陽の風 「ラッキーラインの旅」(by D)
倍音の月に「ネパールからエジプトへ」という日記をUPしてからも、さらに高まり続けたエジプシャン・シンクロウェーブ。旅の直前に行ったポリスのコンサートも、出発2日前の「世界ふしぎ発見」も、今回の旅のために友人の芳美さんが創ってくれた香も、全てが繋がって来る展開に、すっかりシンクロ慣れしている私達も、旅の間は連日興奮しっ放し。ツタンカーメンやセティ1世という具体的な人物も深く関与はしているが、感覚としては「エジプトから呼ばれた」というのに限りなく近い。あまりに様々な要素が絡み合って、タペストリーのように織り込まれているので、本にでもするつもりでじっくり整理して行かないと、とてもまとめられそうにない。
一方で、今回は、ある種の検証研究旅行という側面もあった。Lは、シンクロニック・リーディングの中で、「時間の地図」というものをクライアントの皆様にお渡ししているのだが、そこには、その人にとってのラッキーラインが、世界地図と共に描かれている。そして、実際にそのライン上の場所に旅した人々からは、ビックリするような嬉しい報告が沢山届いているのだ。もちろん、これまでにも私達は、このラインを十分活用して来てはいたが、今回は、経由するロンドンもエジプト(ナイル流域)も、共にLのラッキーラインに見事な程ピッタリ乗っており、その効果を検証するのには、申し分ない条件が整っていた。
結果は、言うまでもなく、まさに”ラッキー”の連続!以下、割と表面的(目に見える)で分かり易いものだけを選んで列記するが、この時期、エジプトはモロにオンシーズンで、各地非常に混みあっていた事(今回が5回目というLも初めて見るような混雑ぶり)。また、成田⇔ロンドン間も、学生旅行のシーズンと重なったためか、スケジュールを確定したG12月の時点では、予約がなかなか取れなかった事を、予め付記しておきたい。
◆成田→ロンドンは、何と突然の2ランク・グレードアップ。半個室状態で水平に眠れるシートのお陰で、長時間のフライトも超快適!
◆大英博物館では、企画展示で思いがけず「クリスタルスカル」の実物を目にする(『謎のクリスタルスカル』という本を持っている位なので、当然興味あり) ◆エジプト入り初日のカイロのホテルは、ほぼ最上階のナイルビュー(反対側だと工事中の広場だった)。もちろん通常料金。
◆ナイルクルーズ船では、全75室のうち2室しかないスイート(側面だけでなく前方も見える窓がある)に当たる。これも料金はそのまま。
◆ギザのグレートピラミッドには二日連続で一番乗り。誰も居ない王の間で色々と実験が出来た上、大きな発見があった(この報告は改めて)。
◆エジプトでのタクシーも、やっかいな値段交渉を殆どせずに適正価格で乗せるグッドドライバーに当たり続ける
◆ロンドン→成田も1ランク・グレードアップで、長時間フライトを楽に過ごす
他にも山のようにあるが、とりあえずこの位にしておこう。ちなみに、私の時間地図では、ロンドンもエジプトも、まるで縁が無いかのようにラッキーラインは全然乗っていない。しかし、ラッキーラインの乗っている人と一緒に旅をすると、まるごとそのご相伴に預かる事が出来るのである。なので、リーディングを受けた方、そしてこれから受ける方に、ひと言だけ言っておきたい。たとえ自分のラッキーラインが乗っていない場所でも、共に旅する人のラッキーラインがその場所に乗っていれば、自分のラッキーラインが乗っているのと何ら変わりない楽しみと幸運を享受出来るという事を。そのために必要なのは、「自分だけで何とかしよう」という思いにこだわらない事と、一緒に旅するかもしれない家族や友人を、普段から大切にするという事かもしれない。
最後に、今回の旅にも、当然の事ながら『シンクロニック・ジャーニー』に記したシンクロ加速技法は、余すところなく使っている事を申し添えておこう。私達は、自分達が実践してみて効果の感じられないものを人に薦めたりはしないし、今回の旅のように、機会あるごとにそれを検証しているので、この日記に書いてある諸々の事柄も、真似してみてまるっきり無駄になるという事は、多分無いと思う。もちろん、誰でも絶対に効果が感じられるはず、なんて事も言わないが、どこか一部でも参考にして頂けるようであれば嬉しい。
■太陽の月9日(G3/15) KIN26 白い宇宙の世界の橋渡し 「ラサの抗議行動」(by D)
チベット自治区ラサで僧侶らによる抗議行動が、各ニュースで報じられている(←クリック)。中国政府(国営新華社通信)は、「ダライ・ラマ一派の策動」などと、相変わらず事実と最も遠い、というか、少しでもチベット問題について触れた事のある方にとっては噴飯ものの見解を、恥ずかしげもなく世界に発信している。これが毒ギョーザ事件その他諸々の報道と同様に、まるで信頼に値しないものである事は、言うまでもない。
私達は、微力ながらチベット難民へのサポート活動もしているが、同時に、中国書法を学んでいる身でもあり、中国の文化や伝統に対しては、心から敬意を抱いている。しかし、毛沢東に始まる中国共産党政府のやり方は、あまりにも子供じみていて、もはやお笑いの域に達しているとしか思えない。
中国でグーグルを使っても、検閲がかかっていてダライ・ラマ関係の(肯定的な)情報は出て来ないと言われているし、既に中国政府に目をつけられているらしいコラムニストの勝谷誠彦氏から、かつて自分宛に中国からメールを送ったら届かなかったと言う話を、あるパーティの席で伺った事があるが、今回の事件に関する別なネットニュース(←クリック)にも似たような状況が伝えられている。膨大な情報の中に埋もれたり削除されたりする可能性もあるので、以下に、この記事【北京=福島香織】を一部抜粋して掲載させて頂く。
◆国営新華社通信は、チベット当局者の話として、「デモは説得によって解散させられた」としているが、ラサ在住チベット族が産経新聞に対して送ろうとしたメールはすべて届いておらず、携帯電話ショートメッセージなどで「事情はよくない」「妨害されている」などと検閲をさけるための短いローマ字文面などで緊迫した状況を訴えている。・・・(引用ここまで)◆
こうした強い情報規制が敷かれている国において、政府系の報道に信憑性が無い事は、どこの時代のどの国でも同じだが、もし、私自身が偏った情報を伝えているのではないかと疑われる方がいらしたら(そういう姿勢は大切だと思う)、ここ最近のものだけでも良いので、是非、チベット亡命政府やダライ・ラマ法王の公式コメントと、中国共産党政府のコメントをピックアップして、比較検討される事をお薦めしたい。誰がまともな事を言っているのかを把握するのに、そう時間は掛からないだろう。
ちなみに、先に記事を引用させて頂いた福島さんは、産経新聞中国総局記者の方で、この件に関するブログのコメント(←クリック)も、背景や実情がよくまとめられていて分かり易いので、一読される事をお薦めしたい(私はこういう記者がいる事にホッとさせられた)。
尚、上記のような背景を知ると「何か行動できないか」と思う方もいらっしゃるだろう。参考までに、「チベット・サポート・ネットワーク・ジャパン」のキャンペーンページ(←クリック)をご紹介しておくが、今すぐ出来る最も簡単な事のひとつは、このページや他のサイトを調べて知った事を、身近な人々と共有する事ではないかと思う。家族や友人との話題にする事も、自分のブログに関連記事をUPする事も、ささやかではあるが、力ある行為だと私は思うのである。
■太陽の月14日(G3/20) KIN31 青い倍音の猿 「週刊誌を開くと・・・」(by D)
見開き2ページの白黒グラビア写真の中央に、トーチを握って走っている人物が目に入った。何と、つい30分程前まで話をしていたチベット人のKさんではないか!どうやらこの週刊誌(週刊新潮・3月27日号)、出たばかりのようだし、本人も何も言っていなかったから、もしかしたら自分が出ている事も知らないのかもしれない・・・。
話を少し前に戻そう。長年に渡って、日本のマスコミでは殆ど真剣に扱われて来なかったチベット問題が、俄に注目され始めてからおよそ1週間が経過した昨日(G3/19)、私達は、チベット人の友人・Pさんのヒーリングを受けに、彼のお宅を訪問した。ちなみに、予約をしたのは、まさかこんな事態に発展するとは予想もしていなかった2ヶ月程前の事。部屋に入ると、そこには、偶々遊びに来ていたKさん(私達も既に何度か会っている仲)が居たので、ヒーリングの前後にお茶を頂きながら、今のチベットの状況について話したり、7000m級の山に登った時の写真を見せてもらったりした。
帰宅時、乗換駅で急にコーヒーが飲みたくなり、カフェに入ろうとしたが、満席だったのでそれを諦め、ふと隣にある書店に足を踏み入れた。普段は殆ど週刊誌を手にしない私も、チベット問題が気になって、適当に一冊を取り出し、パラパラとページをめくってみた。その時の状況が冒頭のシーンである。3日前(G3/16)に、代々木公園で行われた抗議活動の様子が報告されていたのだ。あまりに驚いたので(何せ最初に手にした一冊だったし、ほんの少し前に本人に会っていたのだから)、立ち読みだけにするつもりだったその週刊誌を購入し、コーヒーを飲む事も忘れて家路に着いた。念のため、側にあった他の数冊も確認してみたが、代々木公園の様子を写真入で紹介しているものは見当たらなかった。
ちなみに、この週刊新潮3月27日号のP151には、ペマ・ギャルポ氏による、非常に残酷かつ生々しい虐殺の様子の描写が、また、P156にも櫻井よしこ氏による的を得た解説が掲載されているので、是非、手に取ってみて頂きたい。まだ数日は手に入るだろう。
追伸:G22日(土)には、六本木・三河台公園にて13時より、TSNJ(チベット・サポート・ネットワーク・ジャパン)および「チベット問題を考える議員連盟」による抗議集会が行われます。詳細はこちらをご参照下さい。→ http://www.geocities.jp/t_s_n_j/index.html
■太陽の月5日(G3/21) KIN32 黄色い律動の人 「平和の民からの贈り物-カチーナ人形展」(by L)
とっても楽しみにしていた展示会に、これから行って来ます。
平和の民、ホピの伝統的なカチーナ人形が何と40点も展示されているとのこと。
「ホピ・カチーナ人形展」
銀座で3月23日までです!急がないと!
★詳しくはこちら→http://katsinamanas.blog22.fc2.com/
■太陽の月18日(G3/24) KIN35 青い太陽の鷲 「変容の春分点」(by D)
春分(G3/20)の日、車を借りて、朝から富士山の麓へと向かった。キチェー・マヤ族13代目の高位神官、ドン・アレハンドロ(以下、長老)の行うセレモニーに参加するためである。アレハンドロの名前を最初に目にしたのは、1998年初頭に『13の月の暦』(以下、13暦)の提唱者・アグエイアス夫妻が報告したニューズレターにおいてだったと記憶している。さらにその約半年後、『謎のクリスタル・スカル』という本の中で写真も拝見していたが、その時点で既にご高齢だった記憶があったので、来日の話を耳にした時は(そして、ほぼ同時にホゼ・アグエイアスが来日するというシンクロにも)、少々驚いた。おそらく、どこかで耳にした「今回が最初で最後の来日になるだろう」との噂も本当だろう。
エジプトの旅程との兼ね合いで、来日講演会には参加出来ない事が分かっていたのだが、帰国直後のKIN21(G3/10=チベット民族蜂起49周年)に主催者のHPを見に行った事と、春分の日なら、何とかスケジュールの調整が付く事が判明して、今回の富士行きを決意した。そこには、「来日行事の中で、長老が最も重視なさっているのが、春分の日の富士セレモニーです」という言葉と、今年のG1/14(=Lの誕生日)に、グァテマラの新大統領就任式において長老が行ったスピーチとが掲載されており、私達の旅での経験が、見えない次元でこの行事に結び付いているのを感じたからだ。
エジプトへ向かう途中、ロンドンで大英博物館に立ち寄った私達は、そこでパレンケやヤシュチュランの有名なレリーフの実物、そしてマヤと関係があると言われているクリスタル・スカルに、運良くお目にかかる事が出来た。だが、スカルはマヤのコーナーではなく、「Living and Dying」というテーマ展示のコーナーにあった。しかも同じ場所を2日続けて訪れていたのに、初日は全く気付かず、2日目に地下のアフリカコーナーから登って来た時に、その存在に気付いたのだった。また、同時にインド・アマラヴァティのレリーフの展示があったのにも驚かされた。何故なら、2006/1/14の満月に、私達はまさに(日本では殆ど知られていない)その地で、ダライ・ラマ法王14世より、カーラ・チャクラの灌頂を受けていたからである。
春分の2日前、ふとスカルとマヤの関係が気になって再度『謎のクリスタル・スカル』をめくると、P388~389に非常に興味深い記述を見つけた。ドン・アレハンドロというのはスペイン名であり、マヤ語の本名はジョブ・ケメ(チジン)であり、「生命・死」という意味だと書いてあったのだ!しかも、生まれた日付に由来するこの名前をG暦に変換すると、1929年2月2日になるとも書いてある。早速「銀河の署名」を調べるとKIN10(10・犬)。何と!大英博物館の「Living and Dying」コーナーでスカルに出会ったその日ではないか!伝統暦に由来する長老の名前と、13暦の日付、そしてスカルの展示コーナー名が一つに繋がったのだった。
本書には、他に、マヤに由来を持つオリジナルのスカルは13個あり、伝承によれば、アメリカ先住民、チベット、アボリジニーの元など、世界の聖地に52個あると伝えられている事も記されていた。春分の翌日には、書法塾仲間の渡辺さんが開催しているホピの「カチーナ展」に行く予定を入れていた事もあって、この大きな流れの背景には、スカルとの出会いが深く関係しているうように思えてならなかった。
春分当日の富士山麓は、まるで冬に舞い戻ったかのような冷たい雨が降りしきっていて(富士インターの辺りでは一瞬青空と太陽が顔を見せてくれたが)、車のラジオは、13年前の今日、オウムによる地下鉄サリン事件があったことを伝えていた。帰宅後に知った事だが、このとき走っていた静岡県道71号沿いに、そのサリン製造工場であるサティアンがあったのだ。この富士での春分の祈りは、マヤの長老による重要な儀式という意味合いだけでなく、今まさに起きているチベットでの混乱や、13年前のサリン事件で亡くなられた犠牲者の方々を追悼し、さらに力を誤用している人々の、硬直した心を解かす意味もあったのかもしれない(そういえばチベット仏教のイメージを著しく汚したのもオウムだった)。少なくとも私達はそのつもりで祈りを捧げさせて頂いた。
会場では、私達のエジプト巡礼とほぼシンクロしてハワイに巡礼をしていた13暦仲間のタツさん達とバッタリ会い、旅先でそれぞれ同じような発見と体験をしていた事をシェアしあう機会にも恵まれた。参考までに、この日の13暦情報を整理しておくと、KIN31(5・猿)、手のウェイブスペル、PCU=KIN175(6・鷲)。さらに、会場に至る国道139号は、「20の銘板」で今月に対応するKIN139(9・嵐)とシンクロし、県道71号は今の私の道筋KIN71(6・猿)と対応していた。また、キチェ・マヤのカウントでは、この日は「9・夜」、私の誕生日は「1・夜」、Lの誕生日は「2・猿」となり、これらも含めて13暦的に俯瞰すると、全てに一貫しているのは、「変容の青」という事になる。おまけに、レンタカー屋にあった車は殆ど全てシルバーだったのに、私達に割り当てられた一台だけが「青」だった。
春分点は、昼と夜の長さが同じになるという意味で、もともと変容のタイミングと見なす事が出来るように思うが、今回のこの「青」のシンクロぶりは、これからの世界に、様々なレベルで大きな変容が訪れることを象徴しているような気がしてならない(既にそれを肌で感じる現象が起こりまくっているが)。そして、このダイアリーをようやくUP出来るようになった今日の日付もまた、「青い太陽の鷲の日」(魔術の亀の日)であり、青い第3週目であり、青い手のWSと、青揃いなのである。また、エジプト行きのきっかけとなった、85年ぶりのツタンカーメンの顔公開日「青い水晶の鷲の日(KIN155)」(=G11/4=父の7回忌)から、ちょうど140(=20×7=28×5)日というタイミングであるのも、何だか区切りが良い。
尚、過去の日記については、このページにそのまま情報を残しておきます。