■自己存在の月4日(G10/21) KIN36 黄色い惑星の戦士「ナンパ・ラの悲劇」(by L)
いつも能天気な事ばかりを書いている私だが、そして私が能天気であるのは事実だが、それでもやっぱりこの事を書かないわけにはいかない。「9/30、ヒマラヤ・ネパール国境ナンパ・ラ峠で中国の国境警備隊がチベット人亡命者を射殺」というニュースが報じられた。その瞬間をルーマニア人登山家が偶然撮影し、その映像が公開され世界中に衝撃が広がっている。
★Youtubeに公開された映像(日本語字幕)→http://www.youtube.com/watch?v=o1-y6-Rxyvc
★参考チベットハウスHP→http://www.tibethouse.jp/news_release/2006/061022_refugees.html
★参考KIKUブログ→http://www.tsg-kiku.com/blog/index.php?ID=111
★参考Yahooニュース→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061022-00000000-san-int
私は、会いたい人に会うし行きたい所へ行く。言いたい事を言いやりたい事をやる。しかし、そんな私たちにとっては当たり前の事をするだけで、無造作に銃で撃たれ、簡単に殺されてしまう人達がいる。自治区とは名ばかりの、チベット本土で起こっている悲劇を考えると胸がつぶれる思いだ。
もうすぐダライラマ法王が来日される。もちろん私たちは敬愛する法王に、それはいそいそと会いに行く。そして法王にお会いするたび、私はいつもやるせない。私たちにとって、それはいとも簡単に叶えられる夢なのに、チベット本土に住むチベット人にその自由は無い。彼らから、何と法王は遠いのだろう。命を犠牲にする覚悟が必要なほど、遠いのだ。このことを思う時、私の涙の枯れる事は無い。徹底して非暴力を貫こうとする彼らの手に、一刻も早く本当の自由が戻るよう祈るばかりである。
★何かに呼ばれてハッと目覚めると、燃える様な朝焼け。部屋の壁を朱く染め、数分後には幻のように消えた。私ももう一度ベッドにもぐりこんだ。
■自己存在の月6日(G10/23) KIN38 白い水晶の鏡「お団子マジック」(by L)
数日前の事だ。国技館で行われるダライラマ法王講演会のボランティアの事前ミーティングのため、新宿のチベットハウスに行った。少し遅れて到着すると、すでに数十人が集まっていた。仕事の割り振り名簿を頂いたところ、私の配属はラジオ。(その名の通り、英語の同時通訳を聞きたい方々にFMラジオを貸し出すのが仕事。法王のお話は、会場のステージでは日本語の通訳が入り、英語による同時通訳はFMラジオで聴ける仕組みなのだが、セキュリティの問題があるので、自分のラジオを会場に持ち込む事はできない。仕事の内容が内容なので、このチームのメンバーは本来ガイジンの方々な訳ですよ。そこに何故私が入っているのかは不明。)ラジオチームは全部で6人いるみたいだけれど、打合せに来ていたのは、私ともう一人、Sさんと仰る方。「リサデス。ハジメマシテ。」と挨拶すると、Sさんが「リササン、Kサンノ友達デスカ?」と聞いて来る。「え! Kさんて、S.Kさんのこと?」
聞けばこのミーティングの前夜、SさんとKさんは仕事で一緒になったそうだが、もともと知り合い同士ではなく、その時が初顔合わせだったという。仕事を終えた後、Sさんのご自宅に立ち寄られたKさんが、チベットの香りプンプンのSさんのお部屋を見回して、思わず私の話をしたらしい。(でも、私がそのミーティングに行く予定であったことはKさんには話していないし、Sさんもご自分の予定はKさんには話していなかったそう。)その時、Sさんは「明日のミーティングでその人に会えるだろうな」と直観していたのですって。そして、Sさんの予想通り出会えたわけ。同じラジオチームとして。ちなみにKさんは7歳の魔法使いPちゃんのママ。最近どうしてるかな〜?これからメールしてみよう。
チベットハウスからの帰り道、久しぶりにこれまたミーティングでバッタリ会えたNちゃんと伊勢丹近くの追分団子に吸い寄せられる様に寄り道。Nちゃんはお汁粉ぜんざい、私は恐る恐るあべかわ(ダイエット中のはずなのに良いのだろうか?)を頂きながら、しばしガールズトークを炸裂させた。「今回はマリアさん(いつも法王の通訳をされるダラムサラ在住のマリア・リンチェンさんのこと)いらっしゃらないなんて残念すぎ!会いたいよねー。」なんて、山盛りのお団子を前にして思いきり話していたら、ふふふ、その翌日、急遽マリアさん来日のニュースが入って来るではないですか!来日が決まったのはほんの数日前なので、マリアさん、事前の準備のため、いきなり超大忙しモードに入られたそう。しかも、1週間ほど前からKIKUの久保さん達がダラムサラを訪ねていて、マリアさんはそのグループのアテンドで朝から晩まで忙しい最中。そして、法王事務所から渡された日本行きの航空券を確かめると、何とその久保さんたちの帰りとおんなじフライトだったというからすごい。今週末、みんなでマリアさんをエスコートしつつ同じ翼で帰って来るんだね。魔法の様な展開だ。考えてみたら、アンコ系のお団子はマリアさんの大好物。今回のツアーは長丁場だから、そしてダラムサラでは食べられない物だから、たくさん沢山お団子を差し入れてあげよう。
■自己存在の月14日(G10/31) KIN46 白い共振の世界の橋渡し「14」(by D)
マザー・テレサの署名(KIN40=1・太陽)から始まった第14週、そして14日、来日直後のダライ・ラマ法王14世(KIN14=1・魔法使い)にお目にかかる機会に恵まれた。某お寺さんが主催した関係者向けの講演会に、チベットサポートグループKIKUのボランティアとして参加させてもらったのだ。隣には、NHK出版がブースを出していて、出たばかりの『聞き書き ダライ・ラマの言葉』という新書を平積みにしていた。著者の松本榮一さんもいらしていたので、サインをせがみつつ少し立ち話をする。
松本さんとは、4年前のブッダガヤでお会いしているのだが、この時は、法王の体調不良で、カーラチャクラが初めて中止になった(この経緯は、『素顔のダライ・ラマ The Wisdom of Forgiveness』にも詳しく出ている)。私も初インドですっかりダウンして、殆ど朦朧とした時間を過ごしていたのだが、最も美しいと印象に残ったお寺の参道で、松本さんと擦れ違って挨拶したは、今でもはっきり覚えている。後に、このお寺が、我らがDKR(ダイアリーの表紙のおじさん)によって創立され、シェチェン・リンポチェ(グラーツ・カーラチャクラでご縁のあったお坊さん)によって今も維持されているシェチェン寺である事が分かり、不思議な繋がりを感じたものだが、後から考えると、松本さんとのご縁も実に不思議と言う他無い。
というのも、松本さんは、私の中学・高校時代の同級生でもあるY君と一緒に、かつてダライ・ラマ法王にインタビューしているのだ。しかも、その友人は、現在熊本大学で教鞭を執っていて、昨年、熊本でダライ・ラマ法王が講演をされた時に久しぶりに再会し、阿蘇の麓の素敵なお宅に、一晩泊めてもらったりもしている。時を隔てて起きるこうしたシンクロも、なかなか味わい深いものだ。初日からこんな感じなので、明日から始まる広島ダライ・ラマ週間は、一体どうなるのか予想もつかないが、楽しい時間になる事だけは間違いないだろう。
追伸:翌早朝、羽田に向かう電車の中で、Lが『聞き書き ダライ・ラマの言葉』を読んでいて、Y君の名前を見つけた。松本さんは、私がY君と同級生だと知って驚いてはいたが、フルネームで本書に登場しているなんて事までは言及されていなかったので(というか私が既に本書を読んでいると思われたのかもしれないが)、私達はすっかり興奮してしまった。
■自己存在の月26日(G11/12) KIN58 白い律動の鏡「とりあえず」(by L)
ダライラマ法王が約2週間の滞在を終えられ日本を発たれた。広島・宮島・国技館と本当にミラクルなことが沢山あったなー。(特に、今日のことを私は生涯忘れないと思う。)でもでも、浸る間もなく(すごい浸りたいけど)、数日後には書法の作品提出なのよ。そして今回私が書くのは全紙(でかい)で、チョーモーフの細かな文字をたくさん書く。その上、本物の墨の使用をリクエストされている(=いっぱい磨らねばならない)。記憶の新しいうちに日記を書きたいけど、今夜はこれから法王来日への感謝をこめて墨を磨ります。
追伸:大聖院や国技館で、あの人混にもかかわらず声をかけて下さった方々、本当にありがとうございました。またどこかでお会いしましょう!
■自己存在の月27日(G11/13) KIN59 青い共振の嵐 「広島2006 ダイジェスト」(by D)
広島にパソコンを持って行っておきながら、毎日が濃すぎてダイアリーのUPもままならないまま帰京し、さらに2週間が経過してしまった。という訳で、以下、時間圧縮ダイジェストリポートにてお許し願いたい。
KIN47(11/1)。早朝のフライトで広島へ。まず市内でお好み焼を頂いてから会場へ。ダライ・ラマ法王、デズモント・ツツ大主教、ベティ・ウイリアムズ女史という3人のノーベル平和賞受賞者が、同じ舞台に立つだけで何かが伝わってくる。それは、苦難を魂の力で切り抜けてきた人達が共通して持つ、深さ、暖かさ、明るさ、そしてユーモアが一体となったバイブレーションみたいなものだ。おそらく、この方々にとって、賞はオマケみたいなものでしかないだろう。そういう権威に支えられる必要が無い、存在そのものの大きさを感じる。また、村上和雄先生を始めとするセッションごとの司会の方も皆、印象が良かった。夜、世界平和記念堂で行なわれた祈りや賛美歌、読経は、どれも素晴らしかったが、中でもツツ大主教が神になりきって語るメッセージや母国語での祈りの言葉は、心に響くものがあった。そのメッセージは『ゴッド・ハズ・ア・ドリーム』という本の中でも伝えられているものだが、独特の間を持った語りや全身を使っての表現は、その場に居てこそ味わえるものだと言えよう。ちなみに、ツツ大主教の署名は「青い水晶の手(KIN207=2012年冬至)」で、今の道筋は、ロイディーンと同じ「白い太陽の風(KIN22)」。まさに「遂行」と「癒し」の人が、「スピリット」を「伝える」というイメージそのままであった。
KIN48(11/2)。宮島口に宿を取った私達は、市内まで広電に揺られて移動。原爆ドームを見学しつつ会場へ。チベット関係やスピリチュアル系の著名人、クラスやリーディングにご参加下さった方、お友達など、知った顔を多数見かける。大阪在住のチベタン歌手、バイマ・ヤンジンさんの見事なアカペラで幕を開けた二日目は、質疑も含め、昨日よりもさらに充実した会議となった。特にツツさんは、法王がマイ・スピリチュアル・ブラザーと呼ぶだけあって、二人の振る舞いは、まるで仲良しのいたずらっ子のようで、ベティさんが保護者のように見えた。と同時に、真の仏教者と真のキリスト者は同じである事を、お二人は証明して下さってもいた。共に自らの宗教をとても大切にしながら、違いを超えた普遍的共通性に目を向け、また違う部分に対しても互いに深い敬意を示される。帰りに、平和記念資料館で原爆による惨状を再確認した事で、今日、この地で御三方によって「広島平和宣言」がなされた事が、改めて意義深く感じられた。市内中心部で(なぜか中島みゆきを見かけ)夕食を摂り、広電で宿に向かうと、目の前に昼間KIKUのブースで一緒に売り子をしていたN姫が飛び乗って来た。N姫、広島でこんなシンクロばかり体験しているらしいが、これも日々チベットサポートに力を注いできた事に対する、ちょっとしたご褒美みたいなものだろう。
KIN49(11/3)。広島入りしてから毎日晴天が続いている。部屋の窓からは宮島が真正面に見え、フェリーはきらめく海面を朝日に向かって進む。鹿が戯れる海岸の道を通り抜けると、厳島神社の真っ赤な鳥居が見えてくる。5年前、ダライ・ラマ法王の依頼で近藤等則氏(新体道の大先輩)がプロデュースした「世界聖なる音楽祭(アジアブロック)」は、この場所にステージをつくって行なわれ、天真書法塾の青木天外塾長が「愛祈」という巨大な字を書くパフォーマンスを行なったという。午前中に法王がお参りされるという情報を耳にし、少し早めに神社を参拝。おみくじを引くと33番(観音菩薩の化身の数)!しかも、最後に「なにごとも”じひ”をむねとすれば、思いがけぬ幸い来たる」という、仏教的表現まで入る念の入りよう。そこに、観音菩薩の化身とされる法王がご到着。参拝客を締め出す事もなかったので、運良く偶然居合わせた人々は、間近に法王の姿を見る事ができて歓喜していた。そのまま法王を追って大聖院へ。行幸の際、明治天皇が宿泊された由緒有るお寺だが、この日は何と明治天皇の生誕154周年でもあった。昨年の来日時は、成田から明治神宮に直行されていたし、法王と明治天皇には何か時空を越えた繋がりがあるようだ。ちなみにこのお寺、中国観音霊場33ヶ所の14番でもある。
法要まで時間があったので、昼食後、N姫、Tさん、Kさんらとロープウェーで獅子岩へ。江田島(伯父がここの海軍兵学校にいた)などの島々を見渡せる絶景を堪能。途中暦仲間ともバッタリ遭遇。午後、チベットのデプン大僧院の「見ただけで解脱する弥勒仏」の写しである弥勒仏の開眼法要も無事完了し、お祝いにバイマ・ヤンジンさんらの歌が披露された。彼女の「チベットの事に興味を持って欲しい。私も頑張るけん」というスピーチにはグッと来るものがあった。ただ「助けて欲しい」と言うのとは根本的に姿勢が違う。これが仏陀の教えが行き渡った文化に生きる人達の言葉なのだ。ところで、この弥勒仏の隣には、もともと十一面観音が佇んでおられるのだが、弥勒菩薩は慈悲の「慈」を、観音菩薩は「悲」を現すと、法王が法話の中で教えて下さった。11月3日=11×3=33などと連想すると、グレゴリオ暦でも結構楽しく遊べてしまう。まあ、明治天皇の時に採用された暦だから、ちゃんと法王ともリンクするようになっているのだろう。
KIN50(11/4)。今日は、高橋徹さんのご新著『マヤンカレンダー 2012』の発行日であり、その中で紹介されている伝統的な260日暦では、1番目の日に当たる。3年前の同日には法王が伊勢神宮に初めて参拝され、5年前の同日には父が他界するなど、私にとっては何かと印象に残る日付である。そういう事もあって、今日は法王が滞在されている大聖院を中心にコルラ(聖なるものの周りを右回りに回ること)してみようと思い立ち、朝一番のフェリーでLより一足先に宮島に入った。紅葉谷から弥山まで、途中、立派な角の鹿に出会いつつ早足で40分。誰もいない山頂で太陽に向かって天真五相をし、駒ヶ根経由で尾根道を下る。標識が無かったので(地図に道はあったが)、けもの道に靴の跡を見つけるまでは不安だったが、厳島神社の全景を見下ろす絶景を堪能しつつ、30分余りで一気に駆け下りた。弥山開創1200年祭講演会では、法王が四聖諦についての法話をして下さった。やはり説法の時の法王はパワーが違う。青空と海が映える見晴らしの良い境内で、お昼に配られた絶品のおにぎりを頬張り、大師堂でおみくじを引く。二人とも同じ番号の大吉。そういえば、昨年の明治神宮の時も二人で同じ番号(確か14)を引いた。法王が来られるとシンクロ力がUPするのだろうか。おみくじの番号に従って、明日の法話「道の三要訣」について法王が説かれた本『ダライ・ラマ“心”の修行』のページをめくると、質問してみようかと考えていた事と、それに対する回答が既にそこに書かれていた。
帰り際、タクシーで駆けつけた横綱・朝青龍の姿を見かける。まだ日が高かったので、今度はLとロープウェーで再び弥山へ。1200年前、弘法大師空海が唐から帰国する途中、護摩焚き修行を行なった火が、そのまま消える事無く燃えているという「消えずの火」や大日堂を見学。数ヶ月前、思いがけず西安に空海の足跡を追った事も偶然とは思えなくなる。日が傾き始めた山頂で、今度は月(ほぼ満月)に向かって天真五相。月明かりと手持ちのペンライト一本で西のルートを徒歩で下る。しかし、想像以上に真っ暗な山道を足元を確かめつつだったため、2時間以上かかって神経も磨耗。とはいえ、無事に降りてこられてホッとした。フェリーを降りると、これから島の宿に戻るN姫、Aさん、チベタンJとバッタリ。充実した一日だった。
KIN51(11/5)。大聖院への道すがら、厳島神社を見て驚く。回廊すれすれまで海面が上がっていたからだ。今日は大潮で、間もなく満潮という時間帯だったせいもあるが、水面の上昇度は想像以上だった。そういえば、一昨日、ガイドさんが「ここ数年、地球温暖化の関係で水位が上がり、年に数回は水没している」と話していたのを耳にしていた。今日は、明日から行なわれる灌頂に対しての前行法話という位置付けで、ツォンカパの『道の三要訣』を題材に、菩提心や空について、かなり突っ込んだ話をして下さった。法王ご自身が常々説かれているように、灌頂儀式そのものよりも、心がけを養う「前行」には特に力を入れておられるようだ。実際、質疑の様子も含め、今回の来日中で最もパワフルな印象を受けた。特に、「入菩提行論は、21世紀の今も菩提心についての最高の書で、手元において毎日読んでいる」というお言葉や、「空を理解するには中論の26章→18章→22章→24章の順で読んでいくと良い」というアドバイス(これはカーラチャクラの前行でも説かれていた)は、仏教を学ぶ者にとって、法王からの何よりのプレゼントだったように思う。
この日は、4年前のブッダガヤ・カーラチャクラツアーでご一緒したYoさんやYaさんと久しぶりの再会を果たす事もできたのだが、同じ時にブッダガヤで手に入れた、Lのアヴェンチュリーのお数珠が突然切れて、石をそこら中にバラまいてしまったりもした。近くの人も協力してくれて105個までは見つかったが、残りの3個はどうしても見つからず、大聖院とのテレパスネット窓口としてこの地に残ってもらう事になった。興味深いのは、紐の方に残っていた86という石の数だ。空海が開山した年(806年→86)、カーラチャクラ86代目の継承者としてのダライ・ラマ法王、原爆投下86スピン(11/9で260日暦が86回転した事になる)の何れとも見事に符合する。解釈は色々できるが、今はただ、ものごとがひとつに収束してきているという点にだけ意識を向けておこう。夕方の干潮時、すっかり根元まで姿を現した大鳥居まで、朝は海底だった場所を歩いてみる。満潮時に比べて1mは水面が下がったのではないだろうか。瀬戸内という穏やかな海があってこその時間芸術だが、太陽や月の動きをこれだけ意識させる神社を創り上げた古人に、心からの敬意を表したい。古の風情を残すメインストリートで買い食いを楽しんでから、月光に浮かぶ宮島を後にする。そういえば今日は、インド・アマラヴァティでカーラチャクラの灌頂(満月に行なわれる)を受けて(=Lの誕生日)から、ちょうど10回目の満月に当たる。そういうタイミングに、再び法王の法話を聞けたご縁に、ただ感謝するのみである。 KIN52(11/6)。今日は、NHKの「おはよう日本」に、KIKUの活動が紹介されるという(数日前に放映が決まったとか)。出発前に観て行こうと、大画面テレビのあるホテル食堂で待ち構えていたら、何と直前になって何故か電源が落ちてしまった。やむなく部屋に戻る。『ヒマラヤを越える子供たち 』という記録映画がきっかけとなった取材で、5分程のコーナーだったが、あからさまな表現こそなかったものの、チベットで今何が起きているのかを視聴者に想像させるには、十分な内容だった。日本のマスメディアでは殆ど伝えらる事の無かったチベット問題(の片鱗)が、全国版のNHKで伝えられたのは画期的と言えよう。しかも、法王来日中にである。流石にその事は報じられなかったが、ネットで調べれば来日中だという事もすぐに分かる時代。限られた条件の中で、応援してくれたのかもしれない。番組制作スタッフに拍手を送りたい。
朝、雷と小雨で心配された天気もなんとか持ちこたえて、会場では「大日経」の灌頂が行なわれた。儀式の進行は、カーラチャクラと似ている部分も多かったが、思いのほか多様な「印」が登場して、法王のお手元を拡大して映してくれるディスプレイが大いに役立った。また、ひと月前のアオキセミナー(新体道創始者が直々に指導して下さる)でも「印」をテーマに瞑想する機会があっただけに、私には殊更興味深く思われた。そういえば、今朝方Lが見た夢は、法王がポーズと意識の関係について教えて下さるという内容だったそうだし、私の夢には青木先生が登場されていた。本来2日間で行なう儀式を一日に圧縮していたため、夢判断に用いられるクシャ草が配られても、実際には使う場面が無かったのだが、自分達なりには、今朝の夢が灌頂と繋がったものだったように感じられた。ふと気づくと、ブッダガヤやダラムサラの旅でご一緒した方が、皆、本堂(施主席)で灌頂を受けていた。それだけでなんとなく嬉しくなるから不思議だ。ちなみに、この時配布された美しいマンダラ(大悲胎蔵曼荼羅)は、今、セッションルームに飾ってある。
KIN53(11/7)。朝、部屋の窓から宮島を臨みながら体操をして、チェックアウト。会場では、今日、明日と金剛界曼荼羅の灌頂が行なわれるが、私達は一足先に東京へ。ホテルを出る時、誰もいない食堂の大型テレビに、ちょうど武術研究家の甲野善紀さんが映し出された。介護に応用できる技を解説されていたが、こういう情報がNHKの全国版で流されるのは、非常に意義ある事だ。風が強かったがお天気は良く、飛行機からは見事な富士山を見る事ができた。
KIN55(11/9)。広島原爆投下(G暦8/6)から86スピン。ハーモニック・コンバージェンスから27スピン。今日、ダライ・ラマ法王は、広島から東京に移動されるはずだ。天もこの特別なタイミングに呼応しているのか、朝から、水星の太陽面通過という珍しい天体現象も起きている(次は26年後だとか)。
KIN56(11/10)。ダライ・ラマ法王東京講演。チベットハウスのボランティアで、朝から会場の国技館へ。幸い、ほぼ会場内の担当だったので、殆どの講演を直接聞くことが出来た。一般向けの講演会(仏教法話ではないという意味)では、法王は普遍的なテーマについて平易に語られる事が多いので、突っ込んだ話を期待していていた人には、少し拍子抜けする内容だったかもしれない。ただ、それを補い、場合によってはより深い話への展開が期待できるのが、質疑応答の時間なのだが(法王もそれを楽しみにされているフシがある)、今回は、質問も今三つ位のものが多く、「大丈夫か?日本人(私もその一人だが)」と言う印象だった。そういう時は、法王も「next!」とおっしゃりながらサッサと次に行ってしまわれるのだが、今回の「next」連発ぶりは、法王にとっても、意義を感じられる内容の質問が少なかった事を示していたように思える。
会場には著名人もチラホラ見かけられたが、最後に花束を贈呈したのは、山口智子、中嶋朋子、そして堺正章。先月の「永田町で西遊記」に書いた通り、西安旅行前後の諸々のシンクロもあったので、ここで孫悟空が登場したのには流石に驚いた。それで、気になって堺さんの誕生日を調べてみると、(戸籍上との断りはあったが)何と1946年8/6(原爆投下1年=KIN160)であった!広島原爆⇔86繋がりについては、法王来日週間の前後で何度も書いてきたが、ここまで一貫していると見事という他ない。観音菩薩の化身(13暦的には魔法使い)が、時空に残る原爆の影響を癒して下さった。そんな物語を考えてしまいたくなるシンクロな日々であった。
■自己存在の月28日(G11/14) KIN60 黄色い銀河の太陽 「瞑想・神殿」(by D)
『20の銘板』によれば、今週(KIN54~60)のテーマは「瞑想/神殿」。それに注目していたからか、それとも自然にそうなったのかは分からないが、何かとこのテーマに触れる事の多い1週間だったのは確かだ。法王東京講演の日には、暦仲間のT&Aさんが伊勢神宮式年遷宮についてのパンフ(3年前の法王伊勢参拝の写真もあり)をプレゼントして下さり、翌日は月に一回の瞑想カレッジ(青木先生は今、道筋がKIN55!=広島原爆)。法王が日本をお発ちになったKIN58(11/12)は、長崎原爆86スピンでもあったが、その夜、NHKの世界遺産ではブッダガヤが放映された。まさに瞑想によってブッダが成道した場所には金剛宝座が、そしてそのすぐ側には高さ52mの大塔がそびえ立っていた(ちなみに「瞑想/神殿」は52という数字とリンクしている)。
そしてKIN60(=パカル王の生まれた日)。もともと「瞑想/神殿」の「神殿」は、パカル王の眠るパレンケの「碑銘の神殿」を示している側面もあるので、その週のラストにパカルの誕生KINが巡ってくるのも、ひとつのシンクロだと言える。そういう流れの週だったからか、この日、河原の道場で、瞑想中にふと新しい方法を思いついて試してみたら、面白い体験をした。それまで吹き荒れていた風が、その瞬間にピタッと止んで、驚くべき静けさが辺りを包んだのだ。まるで時間が止まったかのような印象だった。程なくして、風はまた吹き乱れ始めたが、気のせいで済ますには、ちょっとタイミングが良すぎた(まあ、それも気のせいかもしれないが(笑))。夜、アマラヴァティのカーラチャクラに一緒に行ったCちゃん(書法塾の道友でもある)が、「学校へ行こう」という番組に出ると聞いていたので、狙ってその時間だけテレビをつける。巨大ハンバーグ作りのパン部分を制作指導する役だったが、流石にその道のプロ。V6のメンバーも唸る美味しいパンを焼き上げていた(Cちゃんの焼くパンは本当にウマイ!)。
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