時間芸術学校クリカ「シンクロニックダイアリー」
黄色い宇宙の種の年(2005.7.26 - 2006.7.25)
■太陽の月6日(G3/12)8・空歩く者 KIN73「平らな国デンマーク」(by L)
TVや新聞とは殆ど無縁の生活を送っている。と言っても世の中に関心が無い訳ではなくて、ソースやメディアを選んでいるだけ。(いつも少しだけ流行からウラシマ状態なのを除けば、そんなに大きな支障はないかな。)先日、あるメール・メディアで「平らな国デンマーク―「幸福度」世界一の社会から」(高田ケラー有子著/生活人新書)という本を知った。フリースクール法の存在など、以前からデンマークには注目していたので、早速入手して読んでみたらこれがとても面白かった。
教育制度はもちろんのこと、戸籍制度が無い事(そのような考え方が無い)や、様々な場面での人々の在り様など、デンマーク社会は「そうよこれで良いじゃ〜ん!」と、拍子抜けするほどのリラックス感に溢れている様に感じられる。もちろん、実際には自分で暮らしてみないとわからない事だらけだろう。それでも、この本に書かれている事は、縮こまっている思考にバンバカ風穴を開けてくれるし、私たちが知っている方法以外に沢山の選択肢が在る事を紹介してくれる。そして、それを実行して生きる人々・社会の存在は大きな勇気を与えてくれる。現在、イスラム問題で叩かれる事の多いデンマークだが、この本に書かれた彼らの考え方を知るだけでも、その問題の本質は、一部の心ないメディアによって煽られ操作された、全くの誤解に基づくものである事が容易に推測できるだろう。
■太陽の月9日(G3/15)11・戦士 KIN76「55・66・77」(by D)
また、日記が書けないまま、日々が随分と経過してしまった。こういう時は、大概シンクロが起き過ぎて、整理がつかない状態になっている。先週も、その前も、絶え間ないシンクロ・ウェーブに浸りっ放しだったが、遡って書いていると、どんどん”今”起きているシンクロから置き去りにされるので、まずここ5日位のものに集中して書いてみようと思う。それでも、一回の日記としては、史上最長のものになりそうなので、休み休みお読み頂ければ幸いである。
★KIN71(G3/10)
チベット民族蜂起から47周年。神戸すぴこんでの講演のために調べ物をしていて、5年前のこの日(KIN66)に山川亜希子さん、野崎ユリカさんと芦屋でジョイント講演した事を思い出す。当時は、G3/10が民族蜂起の日(42周年)だとは意識していなかったが、そのポイントから、シャンバラ、そしてカーラチャクラとの繋がりが加速したのは、ごく自然な事だったのかもしれない(11・魔法使いの年、共振の月23日「シャンバラのスユア」参照)。何故なら、ダライラマ法王がチベットエリア以外でカーラチャクラを執り行うようになったのは、この民族蜂起(=中国の侵攻)によって、法王がインドへの亡命を余儀なくされた事と大いに関係しているからだ。そういえば、先週のロサ(チベットのお正月)を祝うパーティでお会いしたペマ・ギャルポさんの銀河の署名は「KIN66」。私がチベット仏教に関心を持つきっかけとなった中沢新一さんをチベットと繋いだのも、カーラチャクラ・グラーツの記事を寄稿した「チベット文化研究会・会報」を発行されているのもペマさんだという事を考えると、KIN66(白い磁気の世界の橋渡し)とG3/10が重なった芦屋の講演会は、やはり、特別なシンクロニック・ポイントだったようだ。
さて、この日は、PANひろばMLで、IHMの根本さんから興味深いアナウンスもあった。3/16(KIN77)からメキシコで世界水フォーラムが開催される事、その初日に、水を祝福するためのホピ族-アステカ族によるダンス・セレモニーが行なわれる事、そして、その場に江本勝氏(私の元ボス)が招かれ、さらに翌日には、正式フォーラムでも江本氏が講演をされる事等であった。さらに追記で、故ベンベニスト博士の遺稿『真実の告白 水の記憶事件』が日本語訳で出版されるという事もお知らせして下さった。この本については、また機会を改めて詳しく書きたいと思っているが、極めて重要な本であるので、即注文したのは言うまでも無い。
一方、チベ系友人の直美姫から、この世界水フォーラムには、皇太子さまも参加されるというニュースが流れてきた。この日行なわれた記者会見の様子を伝える記事には、「以前から関心のあるマヤ文明についても視察を通して多くの事を学びたいと考えています」という記述があったが、実は1週間前に、青木先生の古希パーティ(この様子は先月を参照)でお目にかかった八杉佳穂先生(12・嵐の年、惑星の月1日「 マヤとチベットとチョコと911」を参照)は、その日、皇太子さまにマヤ学のご進講をされてきたばかりとおっしゃっていたので、このニュースで一挙に話が繋がった感じがした。ちなみに、このパーティでは、新体道の大先輩にして同じ銀河の署名を持つトランペッターの近藤等則さんからも、ダライラマ法王についてのエピソードを聞かせて頂いたりして(法王からの依頼で広島・世界聖なる音楽祭のプロデュースもされている)、充実した時間を過ごさせて頂いた。それにしても、ご自身の古希のパーティでさえ、いつものサービス精神で人を楽しませたり、人と人を繋ぐ事に力を注がれている青木先生の姿には、本当に頭が下がるばかりだ。
★KIN72(G3/11)
午前中、瞑想カレッジに出席。そのまま、軽くランチを取って、13:20発「のぞみ55号(広島行)」に乗る。KIN55と広島の関係については、先月「太陽の国へ」というタイトルで日記を書いたばかりだが、注目しているとシンクロするという法則の通り、何から何まで出来すぎの新幹線に乗ることになってしまった。おまけに、12号車17番を「音」と「紋章」に置き換えると、「赤い水晶の地球(KIN77)」となり、世界水フォーラムの開催ともリンクしてしまう始末。車中では、ひと月程前に手に入れた八杉先生(編)の『マヤ学を学ぶ人のために』を読み進める(意味不明だが価格表示の隣には1320という数字が印刷されていたりする)。近年、マヤ研究において、日本人研究者が最先端で活躍しているという話は耳にしていたが、本書はその成果が一般向けに分かり易くまとめられている上、論文や参考文献の紹介も充実しているので、本格的な研究者を志す人々にとっても見逃せない一冊と言えるだろう。編著者である八杉先生は、間違いなくこの分野の第一人者だが、そんな先生とご縁を頂けたのも、青木先生あってのこと。持つべきは良師である。ちなみに、八杉先生の署名(通路)は「1・蛇」、『マヤ学を・・・』の発行日は「7・蛇」、青木先生の署名は「11・蛇」。実に「生命力」を感じさせる繋がりである。
★KIN73(G3/12)
神戸すぴこんへ参加するのに、大阪から阪神高速に乗るも、間違えて3号神戸線に入ってしまう。途中5号湾岸線に乗り換えるために降りたところが芦屋。今日の紋章「空歩く者」は、伝統的マヤ・アステカ暦では「葦」を意味するが、昨夜「葦」と「芦」が同じである事を辞典で調べたばかりだったので、このハプニングも楽しいシンクロの一幕として記憶される事になった。朝イチでブースにやって来た方は、私の神秘のパートナーに当る「7・太陽」。最初から楽しませてくれる(午後にも同じ署名の別人がいらした)。ブースの左隣は天野さん(講演者のお一人)、右隣は広島からいらした呉原さんという方だった。やたらと広島づいているが、後で(帰宅してから)頂いた名刺の裏を見てさらに驚いた。社団法人倫理研究所(以下、倫研)のマークがあるではないか!
私が「13の月の暦」に強く惹かれたのは、その初期に「倫理プロジェクト」という4年間のテレパシー的な実験に強い共感を覚えたからと言っても過言では無い。「4年間のテレパシー的な生物圏から精神圏への移行、極をとりまく虹の橋の実験」という長い副題がついたこのプログラムは2000年7/25でひとまず終了しているが、こよみ屋手帳のP6には、今もその名残の図があり、私は大いに活用している(シンクロ装置として非常に実用的なのだ)。今もホゼさんが、最新のニュースを「倫理プロジェクト・ニューズレター」として発信しているのは、日本での初期の暦の活動において、倫研が様々な形で協力をしていたからなのだ。1997年に「時間の法則に関する世界会議」が行なわれた時には、倫研の本部が会場を提供したばかりか、ホゼさんを客員研究員としても迎えていた位だ。これは、現・理事長の丸山敏秋さんが、高橋徹さんの古い友人で、かつ「13の月の暦」を深いレベルで理解されている方だった事と関係している(ちなみに、青木先生とも長いお付き合いをされているが、それについてはまた機会を改めたい)。
話が大分飛んでしまったが、これも”広島&倫研”という「13の月の暦に替える平和の運動」と深く関わるメッセージを伴った方が隣にいらした、というシンクロの賜物と言えよう(ご本人とは殆どお話する時間が無かったが)。さて、講演の方は、摩耶(マヤ)山の麓、六甲アイランド(亀<甲>の島は、北米大陸を現したりもする)という場もあって、私なりに勝手に楽しませて頂いたが、聴講して下さった皆さんとってどうだったかは不明だ(笑)。ただ、ものすごくエネルギーが通る人達がいるなーと思っていたら、講演後にわざわざブースの方にも来て感想を伝えて下さったので、お話させて頂いた甲斐はあったかと思う。しかもそのご夫婦、お調べしたら揃って「星」の紋章だったので、「芸術家夫婦ですね」と言ったら、「実は、私は絵描きで夫はイラストレーターなんです」との事。もちろん、全員で驚いた。こういう時のゾクッとするような感覚がさらなるシンクロを呼び込むのだ。
その後、「ツキを呼ぶ魔法のことば」の五日市さんの講演(質疑)を少し拝聴したら(そう言えばこのタイトルの冊子が出回る前に、その存在を教えて下さったのも青木先生だった)、もう帰る時間になっていた。冊子の内容も非常に印象深いものだったが、実物の五日市さんは、輪をかけて楽しく、深く、力強かった。ツイてる人に会うのは、それだけで楽しいものだが、冊子を読んで「いつか会ってみたいなー」と思っていた五日市さんに、こうして実際会えてしまうのは(しかも自分も講演者として呼んでもらった場で)、私も相当ツイてるかもしれない。
★KIN74(G3/13)
青空に雪がちらつく不思議な空模様の中、千里万博公園に向かう。国立民俗学博物館(民博)に八杉先生を訪ねるためだ。ご多忙である事はわかっていたが、時間をとって下さるというので、遠慮せずお邪魔する事にした。国の先端研究施設としての側面もある民博には、この分野で最高レベルの研究者が集っているだけに、アカデミックなオーラに満ちている感じがした。先生の静かな研究室には、沢山の本が山積みになっていて、その中には、先に送らせて頂いた拙著、そして倫研の丸山氏さんの本もあった(経緯は予想できたが、昨日の事もあったので驚いたのは言うまでもない)。同僚に世界のカレンダーを収集している先生がいらっしゃるというので、こよみ屋さんで制作されているカレンダー類を持参したのだが、どうやらこれは資料として大切に保存されるようだ。
せっかく日本のマヤ学の最高の先生が目の前にいらっしゃるのだから、マヤの事についてはもちろん色々と質問させて頂いたが、他にも興味深いお話を沢山して下さるものだから、すっかり時間を忘れて聞き入ってしまった。中でも印象に残ったのは、学生時代に体験されたという太陽体験(としか言いようのない言語化不能の体験)についてのお話だった。というのも、この日は、太陽の月の「白い太陽の魔法使いの日」(魔術の亀の日)で、万博公園の入り口には、かの有名な岡本太郎氏の「太陽の塔」があったりしたからだ。一つ前に書いた日記のタイトルが「太陽の国へ」だったのも、もしかしたら呼び水となっていたかもしれない。帰り際には、先生がディスプレイの監修をされたというアメリカエリアの展示コーナーを直接ご案内して下さるなど、とにかく感激しきりのひと時であった。時間の都合で展示コーナーの全てを回る事は出来なかったが、世界中の貴重な資料が集められているこの博物館には、是非多くの方に足を運んでもらいたいと思うし、また私も訪れてみたいと思った。
ところで、「倫理プロジェクト」に基づくサイ時間単位(PCU)の表(こよみ屋手帳P6 )で見ると、今日の日付は「KIN166」となり、何とこれは、皇太子さまの「銀河の署名」にあたる!皇太子さまにマヤ学のご進講をされた八杉先生に、今日という日にお会いする不思議さを改めて噛み締めると共に、その皇太子さまが参加される世界水フォーラム(メキシコ)では、IHM時代にお世話になった江本氏が講演をするという状況に、シンクロ・ネットワークのワールドワイド化を感じるこの頃であった。
★KIN75(G3/14)
モーニングを食べる喫茶店でサンケイ新聞を開くと、「みんぱくキッズワールド:こどもとおとなをつなぐもの」が3/16から開催されるニュースが掲載されていた。普段、新聞も殆ど見ない私が、たまーに見るとこういうシンクロがあるのだから面白い(しかも昨日の今日で)。確かに春休みだし、親子で訪れるのには良いチャンスかもしれない。万博公園の入り口から民博に向かう道すがら、満開の梅林を目にする事ができるし、八杉先生お勧めの企画展「さわる文字、さわる世界」も、若手で盲目の研究者が企画した体感型のディスプレイが素晴らしく、一見(一触?)の価値がある。
今日は、ほぼ一日事務所で仕事をしていたが、広島のBAユーザーの方から連絡が入るなど、広島とのホットラインは開放されたままの模様。一緒に仕事している代表のAさんは、一昨日聞いた五日市さんのしゃべり方、笑い方がツボにはまったらしく、一日中ものまねを続けていて、私もひたすら笑い転げていた。Aさんは、近々「ツキを呼ぶお笑い物まね芸人」としてデビューする予定なので、関係者諸氏は楽しみにしていて頂きたい(芸名も既に決定済み)。
★KIN76(G3/15)
何と!今日はチベット民族蜂起から”66”スピン!(260×66日)。52年で365日と260日が同期(還暦)するカレンダーシステムを採用すると、そこから5年単位でずれるポイント(今回のように47周年とか芦屋ジョイントレクチャーの42周年の時とか)では、365日で蜂起の日付を迎えてから、そのズレの年数分(今年なら5年なので5日)後に、260日での蜂起の日付がやってくる。慣れないとちょっとややこしい感じがするが、ある美しい法則が存在するのだ。
それにしても強烈なシンクロニック・ウェイブスペル(以下WS)だ。全ての発端、芦屋でのジョイント講演がKIN66(かつ365日でチベット民族蜂起)、最近判明したばかりのペマ・ギャルポさん(著名なチベット人)の「銀河の署名」もKIN66、そしてチベット民族蜂起から66スピン、これら一連の事に気付いている現在のWSがKIN66の「世界の橋渡し」のWS。「世界の橋渡し」は、惑星ホロンで日本のエリアと対応し、日本の皇太子さまは、マヤ・アステカ暦を生んだメキシコの地へ向けてこのWS中に(確か今日)飛び立たれる。どうやら、一昨日、民博の帰りに、66-66ナンバーの車を見たのも偶然ではなかったようだ。
仕事の進み具合でどうなるか分からなかったため、指定を取っていなかった新幹線は、結局14:30発の「のぞみ56号」を乗車直前に座席指定。行きも帰りもハーモニック・コンバージェンスのKINとはおそれいった(H・CはKIN55、56で祝われた)。という事は多分・・・と思って後で調べると、やはり、この「のぞみ56号」は広島始発であった!座席は7号車11番だったが、これも7×11とすると「KIN77」になり、往路の12号車17番とは別な変換ながら、結局、世界水フォーラムが開催される明日「KIN77」を指し示しているようだ。また、往路と同じ変換で、「7・猿(KIN111)」とすると、今度は、八杉先生が編集者を務められた機関誌「みんぱく」で繋がった熊本の旧友の「銀河の署名」が出てきたりするから、どこをどう切っても、シンクロだらけという事に変わりはない。そんな事をツラツラ考えつつ、絵に描いたように見事な富士山を眺めながら家路についた。
帰宅後、諸々のシンクロをLに話していると、今日のグレゴリオ暦の日付3/15も、「音」と「紋章」に変換すると「3・鷲」、つまり「KIN55」=広島原爆&H・Cとなる事を指摘してくれた。もう参りました、という感じだ。しかし、ひるむことなく次のシンクロを呼び起こす事が約束されているかのような、ベンベニスト博士の「水の記憶」を読み始める。確認のために大阪から持ち帰った、「サトルエネルギー学会誌Vol3 No2,1999」には、私が江本所長と連名で出した論文「水の氷結写真による波動情報の評価」がトップに掲載されているが、その冒頭で、ばっちりベンベニスト博士(文中ではベンベニステ)の論文について触れていた(本人はすっかり忘れていたが)。しかも、学会誌・編集者のアナウンスページには、ブライアン・ジョセフソンさんの名前が登場しているのだが、「水の記憶」の序文もまた、ジョセフソンさんが書いているのだ。こうして書いている最中にもまた、シンクロニックな記憶が次々に蘇ってきてしまうのだが、今日は満月という事で、この辺りまでを一つの日記という事にして勘弁してもらい、○(おわり)としたい。
■太陽の月11日(G3/17)13・鏡 KIN78「揚力の実験」(by D)
先日、大阪に向かうとき、品川の新幹線ホーム上にある小さな書店で、数分立ち読みをした。何冊か手にした中で一番惹かれたのは、『99・9%は仮説』という本だった。冒頭に「飛行機が何故飛ぶのかは実はよく分かっていない」という興味深い話が出ていて、思わずその場で入手しようかとも思ったが、最優先の本を持ち合わせていたので、とりあえず衝動買いはせずに済んだ。しかし、高校生の頃、思いつきで揚力(飛行機の翼に対し下から上向きに働く力)を体感したくなって、最高速度で走っている電車の窓から手を出し、2秒としないうちに電柱に手をぶつけ(アホですね)、手の厚みが倍近くになった経験を持つ私としては、是非とも読みたい本ではある(医者には、下手したら腕が吹っ飛んでいた所だと呆れられたが、ヒビひとつ入らなかった事には今でも感謝している)。
一昨日、近所の本屋でもう一度その本を探してみると、光文社新書のNo241(私のKINナンバー)という事も判明したので、即購入が決定された。さて、直前の日記にも登場したブライアン・ジョセフソンさん(ケンブリッジ大学教授)は、33歳の若さでノーベル物理学賞を受賞された文句なしの天才だが、その後、心霊現象やテレパシーに手を出したという事で、科学界からは黙殺されている状態にある。私は、1998年に行なわれた第2回「意識・新医療・新エネルギー」国際シンポジウムで、ジョセフソン教授の講演を聴き、会場でご著書『科学は心霊現象をいかにとらえるか』を手に入れたが、本書の翻訳&解説者が、先の『99.9%は仮説』の著者、竹内薫さんと、今をときめく”クオリア”の茂木健一郎さんだったと気付いたときは、「なるほど」と妙に嬉しくなってしまった。また、ネット上で調べると、1999年3/10(=チベット民族蜂起)にベンベニスト博士が、ジョセフソン教授の所属するケンブリッジ大学・キャベンディッシュ研究所で「電磁的に活性化した水と生物信号の謎」という講演をしたらしい事もわかった。その時代のパラダイムをすっかり変えてしまう程に切り込んだ研究をする人は、結果、異端的扱いを受ける事になるが、科学史を振り返れば、それ位の人でないと大きな発見はできないという事がよくわかる。ベンベニスト博士やジョセフソン教授の研究が日の目をみるかどうかは、もう少し待ってみないとわからないが、少なくとも彼らのような人こそ、真の科学的態度を持った本物の研究者だと私は思っている。科学的、科学的、という言葉を乱発する人ほど、自分が持つ潜在的前提条件(先入観)には無頓着なものだ。
ところで、ベンベニスト博士が科学界を追われる発端となった論文が掲載されたのは、『ネイチャー』という最も権威ある科学論文誌のNo333だった(普通、この雑誌に何度も掲載されるような研究をした人は科学界で安泰の地位を得るものだが、そうならなかった所に、博士の研究成果の衝撃度が示されている)。そして、その発刊日は1988年6/30で、ツォルキンではKIN113(赤い太陽の空歩く者)の日であった。「時間の法則の20の銘板」によれば、今月はKIN113に対応するから、きっとベンベニスト博士の本を読むのにも相応しいタイミングなのだろう。本の存在を知ったのが、先週(33週目)だったり、先の竹内さんの本のタイトルも、333の3倍を10で割ったものだったり、ここのところ何だかゾロ目が流行っている(笑)。
話し変わって、チベットサポート関係の友人が、私の関西出張とほぼシンクロするタイミングで広島に行っていたのだが、彼女と連絡をとったLによると、広島在住のKさん(ダラムサラツアーでご一緒した方)は、なんと今、メキシコに旅していると言う。WBCでは、王監督とイチローの意気込みが天に伝わったのか、あるいは日出る国の皇太子さまが訪問しているからか、メキシコが大番狂わせで米国に勝って、日本の準決勝行きを助けてくれたりもした。Lが「そういえばメキシコって、太陽の国って言われてるよね」と教えてくれたが、確かにそうだ。日中、届いた絵ハガキは、「黄色い太陽の太陽」という署名を持つ方からのものだったし、さすがに「太陽の月」だ。特に今日まで続いた、「世界の橋渡し」のウェイブスペルは、KIN66から始まり、33週目のラストに「太陽の魔術の亀の日」を迎え、パカルの特別な数字78(13・鏡)で締め括られるという特別な13日間だったように思う。日本では、「鏡」もまた「太陽」を意味するのだから。
■太陽の月15日(G3/21)4・風 KIN82「WBCとプリンス」(by D)
横浜で行なわれる西安碑林展に向けての書の練成会に参加するため、まだ人のまばらな二子玉川駅から大井町線に乗り込む。私が座ったシートの真上に、「亀屋万年堂」(かつて王監督が宣伝していたナボナの販売元)の広告を見つけたL は、「今日の野球は日本の勝ちね」と言い放った。こういう感じで宣託が降りた時は、大概その通りになるのを何度も見てきた私は、ここ一連のシンクロの流れからも「それが自然だろう」と思ったし、きっとそうなるに違いないと感じた。
お彼岸という事もあって、書の練習後は実家に足を延ばした。到着早々、ニュースで日本の勝利(WBC)と、桜の開花(東京・横浜)を知って、実にメデタイ気分にさせてもらう(ご宣託通りとは言え、嬉しい事に変わりはない)。WBCは、そのドラマチックな展開に、普段野球を見ない人も惹きつけられてしまったのではないかと思うが(私自身もその一人だが)、シンクロ的観点から眺めて見ても、野球を超えた「何か」を考えたくなる不思議さが、そこにはあった。以下、記憶整理の意味も込めて、ざっと書き連ねてみたいと思う。
例えば、ひとつ前の日記にも書いたが、メキシコが米国に奇跡的勝利をしたその日(KIN78=G3/17)、メキシコでは、皇太子様が世界水フォーラムにおいて、「江戸と水運」というタイトルで初の海外講演をされていた(玉川上水についても触れられたとか)。準決勝で、韓国に3度目の正直で勝利した日(G3/19)は、トリノ五輪唯一の日本人金メダリスト荒川静香選手の銀河の署名「2・太陽」の日だった。イチロー選手の銀河の署名は「4・人」、王監督は「11・人」であるが、優勝が決まった今日のKIN「4・風」は、それぞれお二人の26歳、58(6)歳の時の「運命の道筋」であり、特にイチロー選手にとっては、反対のパートナーの日であり、神戸のファン一人一人と握手をして日本の球界に別れを告げた時の道筋でもあった。
試合結果の10-6を、「10・世界の橋渡し」=「皇太子様の銀河の署名」と見るのは、さすがに少々強引かもしれないが、本日、日本の勝利とシンクロするかのように、メキシコ・カナダからご帰国されたという点や、先のメキシコでのご講演と日本の勝利の関係などを省みると、やはりそのシンクロぶりは無視できないものがある。しかも、春分である今日は、皇太子様が訪れたウシュマル遺跡からそう遠くない、チチェン・イツァの遺跡で、年に2度(春分・秋分)しか起きない天空の蛇(ケツァルコアトル=ククルカン)の降臨がピラミッドで観られたりもするのだ。もちろん、WBCは他の多くのファクターが関係しているので(イチロー選手の気合とか誤審審判のピエロぶり等々)、なんでも皇太子様と結びつけて考える必要は無いのだが、あたかも繋がっているかのように見えるタイミングで、事が同時並列的に起きていたのは確かなのだ。
ところで、今朝広告を見た「亀屋万年堂」もよく見るとスゴイ名前である。亀は一般に甲羅が「13」に分かれているし、「13の月の暦」には万年暦という側面もある。しかも、気になって調べてみたら、本社は自由が丘(行きも帰りも乗換えする所)にある上、創業は昭和「13」年と来た。こうなってくると、私自身にも色々とシンクロが起きてきて、結果、福岡へのフライトチケットを今日取るような事にもなったりした(王監督は、福岡ソフトバンクホークスの監督でもある)。
帰宅すると、アマゾンから書籍とCD2枚が届いていた。CDのひとつはエンヤの「アマランタイン」、もうひとつはプリンスの新作「3121」だ。「3121」を「3/21」に掛けたのか、発売日が今日という事になっていて、随分前に注文したのがやっと届いたのだが、もしかしたら、これも時空の演出の一つなのかもしれない。なぜなら、「プリンス」=「皇太子」だからだ!ベースボールの生まれた国、米国では日の丸が揚がり、メキシコのマヤ遺跡では神格化された蛇が天空から舞い降り、わが国ではメキシコから戻れらたプリンスのご帰国を祝うかのように、桜の開花が宣言される。何だか出来すぎたお話のようだが、天文学的にも特別なポイントでこういう事が収束して起こった事に、私は大きな喜びを感じている。ちなみに、「アマランタイン」とは「詩人が”永遠の花”を語るときに使う言葉」なのだそうだが、きっと第一回WBCで日本が優勝した事は、桜の花が咲く頃になると人々の記憶の中に呼び起こされて、末長く語り継がれる事になるだろう。
■太陽の月16日(G3/22)5・夜 KIN83「シンクロレッスン88」(by L)
Dのシンクロ日記が炸裂中!彼の書く文章の大ファンでもある私は「良いぞ〜!」と興奮しながら読んでいるのだが、WBCに関連して更に面白い事に気付いたので、忘れない内にメモしておく。
「王監督に恥をかかせるわけにはいかない。」開幕前の、このイチロー選手の言葉を聞いた時から、王とイチローとの間の、監督と選手というだけでは説明がつかない縁の濃さ、特別に響き合う何かを感じていた。二人が同じ地球家族である事は既にDの日記で触れられている通りだが、二人揃って「魔術の亀の日」生まれであると判明(イチローは自己存在の月5日、王はスペクトルの月19日生まれ)。決定的なのは、王の誕生日の2スピン(520日)後はイチローの誕生日であること!つまり、イチローの誕生日から王の誕生日まで210日。中心地点はそれぞれの誕生日から105日(=節分の頃)である。ちなみにDと私の誕生日も同じ関係性が成り立つ。(白いスペクトルの魔法使いの年/宇宙の月日記「みどりの日」参照)春分の昨日、このコンビが日本を世界一に押し上げた中心、と言っても過言ではないのだからやはり興奮する。(少々13暦おタクな話。チンプンカンプンな皆さん、ごめんなさい。暦の視点で見ても、ああやっぱり!な関係だったというお話です。)
それにしても、「シンクロって音楽みたい。美しく響く和音みたいだな。」といつも思う。私はハイティーンの頃までピアノをやっていたのだが、子供の頃はレッスンそっち退けでよく鍵盤で遊んだものだ。鍵盤のドコとドコを鳴らすとどんな音がするか?という単純なお遊び。出鱈目にキーを叩きながら「この組み合わせはきれい」とか「これとこれを合わせても変」とか、音の中を探検する様な感覚がとても楽しくて、飽きるまで実験を繰り返していた。「和音」や「ハーモニー」などの言葉を知ったのは、ずっと後の事だ。そうそう。昨日は、Dの実家到着時に日本チームの優勝を知ったのであるが、Dの父の銀河の署名はKIN88。88とは、子供の頃の私に、音を通してシンクロの楽しさや美しさを教えてくれたピアノの鍵盤の数でもある。
昨夜帰宅すると、アマゾンから、エンヤ「アマランタイン」と、プリンス「3121」のCD、そして「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」の本が届いていた。アマランタインのジャケットを開くと、白いカバーに深紅のCDが!まるで優勝を祝う日の丸の様でビックリ(日本語の歌まで収録されている)。そしてふと気付けば、*プリンスの現在の道筋はKIN55=HC。ということは、その1スピン後が青木先生の、そして更にその1スピン後が悟郎さんの誕生日という事になる。(プリンスから悟郎さんまで520日。王からイチローまでと同じ!)そしてこの本、「ニルヴァーナのプロゼスとテクニック」は、他でもない、悟郎さんのお薦めでオーダーしたのだったよ。(それぞれ別々の日に注文していたというのに、それが昨日同時に届いてしまうところも素晴らしい。)悟郎さんによると、この本はかなり風変わりで、読んで大好きになるか、この内容けしからん!と怒り狂うか、その反応は予測がつかないらしい。「プリンスーMaster Aokiー悟郎さん」の奏でる和音は、きっとアバンギャルドの音色ってことね。*現在のプリンスと青木先生の道筋はKIN55、皇太子様(プリンス・ヒロ)はKIN56。
おまけ。一色先生に頂いた「一日一訓」。一日遅れで今朝めくると、昨日の言葉は「必ず勝とうと固く決心したものが勝つのだートルストイー」でした(イチローの言葉かと思っちゃいました)。
■太陽の月18日(G3/24)7・蛇 KIN85「DVD完成!」(by L)
Escape Over the Himalayas ヒマラヤを越える子供たち(DVD日本語版)この春ついに完成!
Escape Over the Himalayasヒマラヤを越える子供たち/4月10日リリース
チベットサポートグループKIKUオンラインショップで販売受付中!
このDVD完成のタイミングがすごい。何と!昨年のダライラマ法王の来日からピッタリ一年後のG4/8に東京入荷予定。おまけに(先ほどDが気付いたのだが)予約受付開始である昨日は、昨年のダライラマ法王のお誕生日からピッタリ1スピン(6・種=法王の現在の道筋)である!
実は昨夕、「このDVDに製品番号をつけないといけないんだけど、縁起の良い番号を今日中に考えて!」とNaomi姫からリクエストがあり(光栄です)、Dと二人しばし考え、ダライラマ法王のご長寿と、チベットの自由への祈りを込めた、ある番号をお伝えした。今日はドルマさん(チベット人のお友達)が遊びに来ていたのだが、3人で家の前の道を渡ろうと佇んでいたら、丁度そのナンバーの車がピタっと停まって、私たちを渡らせてくれた。目はナンバープレートに釘付け。もちろん、自分たちなりにも「この番号でよし」と大納得していたのだが、更に「バッチリOK!」の祝福サインを頂けたようでとても嬉しくなった。・・・ともあれ、このDVD、ものすごーく意味のある作品です。収益の全てはチベット難民のサポートに使われます。皆さま遠慮なさらずじゃんじゃんご購入ください!私たちは、このDVDの制作チームの方々、そして制作に協力された全ての方々を最高に誇らしく思っています。
■太陽の月21日(G3/27)10・星 KIN88「SPIRIT」(by D)
ちょっと気になっていた映画、『SPIRIT』を観てきた。とにかく良かった!これは”絶対に”オススメである!!ジェット・リーの演技も、ハイレベルな格闘シーンも、中国南方の美しい風景も、皆素晴らしかったけど、それらを突き抜ける程のパワーで感動させてくれたのは、まさにこの映画の根底に流れる”スピリット”そのものであった。ちょっとしたセリフや、ささやかなエピソードのひとつひとつにも心に響くメッセージが込められていて、正直、泣いちゃいましたよ、私は。
魂が高揚する感じは、何か、五輪での荒川や、WBCでのイチロー(王ジャパン)の活躍にも通じる所があったし、何より中国映画が、まるでダライ・ラマ法王の言葉かと思うようなメッセージを発信してくれている所に、すっかりやられてしまった。結局、中国がああだとか、日本がこうだとかいう問題ではないのだ。いつの時代のどこの国にも、心洗われるような素晴らしい人間と、哀れな程腐った奴がいるのであって、私達は、世界中にいる、その素晴らしい仲間達の方に注目して、どんどん共鳴度を高めて行けば良いのである。そうすれば、腐っている者も自然と輝いてくる事だろう。
それにしても、ラストの挿入曲だけは頂けなかった。日本語版にする時に急遽挿し込まれたものらしいが、全く映画と調和しておらず、あれでは曲を提供したアーティストも可哀想だ(そぐわない場に出されたという意味で)。きっと、映画に登場した腐れ日本人、三田のような奴が配給関係者にいたのだろう。この映画に込められたスピリットと正反対の行為をしても、マイナスにしか働かないという事が分からないとは、哀れとしか言いようが無い。ちなみに、中村獅童演じる日本人武術家は、非常に良い描かれ方をしていた事を付け加えておこう(演武指導の関係か、日本の武道の動きでは無かったけど、そんな事はこの際どうでも良い)。まあ、とにもかくにも、普段映画はあまり観ないというアナタも、この日記を読んだからには、すぐに映画館に走って欲しい。それくらいの価値がある映画だと、私は思う。
帰宅すると、神々しいカイラス山が表紙を飾る『チベット通信(2006年春号)』が届いていた。「チベット民族蜂起47周年におけるダライ・ラマ法王の声明」に続いて掲載されていたのが、私の寄稿した「アマラヴァティ・カーラチャクラ2006・リポート」だった事に、ささやかな喜びを感じる。その記事に、写真とキャプションを加えて下さった北沢杏里さん、そしてリポート執筆者として私を推薦して下さったS監督(ビデオ『カーラチャクラ』の)に感謝したい。お二人とも現地で共に灌頂を受けた仲だが、チベットの事を心から思う素敵な人達だ。他にも、西蔵ツワン先生の貴重な体験記や、ハインリッヒ・ハラー(『セブン・イヤーズ・イン・チベット』の著者)に関するニュースなど、内容盛りだくさんの上、法王のメッセージは、いつも熱くて勇気の湧く言葉に溢れているので、興味のある方は、是非『チベット通信』を入手される事をお勧めしたい。申込み方法については、ダライラマ法王日本代表部事務所(チベットハウス)のHPへ。
今日は、思いがけず中国映画とチベット通信を同時に受取る事になったが、そのどちらもが魂の輝きに溢れていて、私には、今後の中国-チベット関係を象徴する、とても良い兆候のように感じられた。それは、今日の日付「KIN88(10・星)」のキーワードからも読み取る事ができる。即ち「10」は「現われを仕上げる・生み出す」、そして「星」は「気品」「美しくする」「芸術」である。
※おまけの個人的数字メモ。今日最初にLが座ったシートは「J-8」→「10・星」=本日のKIN&父のKIN。前に人が座ったので、ちょっと移動した時に私が座ったのは「J-11」→「10・猿」=LのKIN。チベット民族蜂起47周年の「チベット通信」P4‐7に拙稿が掲載された。
■太陽の月25日(G3/31)1・人 KIN92「満開!」(by L)
近所の土手。とにかく満開!
■太陽の月27日(G4/2)3・魔法使い KIN94「雷電」(by D)
今日は、朝から救急救護法(MFA)の講習会に参加してきた。米国政府等から公認され、世界80カ国以上に普及しているという応急手当の資格だ。NPO新体道の登録号令者として人を指導するに当っては、最低限知っておくべき内容だと思えたし(もともと号令者には受講が推奨されている)、現代社会においては、それ以外のどんな場面でも、学んでおいて損は無いものと感じられたので、今回の受講を決めた。
会場の深川スポーツセンターに向かう途中、運河の両岸に咲く満開の桜があまりに見事で、しばし見とれてしまったが、時間帯のせいか、その華やかさに反して人影はまばらで、何だか得したような、勿体ないような不思議な気分を味わった。予定通りに始まった講習は、途中、昼食や休憩を挟みながら約7時間に渡って行なわれた。結構な長丁場ながら、時間の経過が意外と早く感じられたのは、ビデオとロールプレイ(役割を交代しながらの実習)を中心に、インストラクターからの解説やアドバイスが入る、という講習形式によるところが大きいかもしれない。救急救護が必要な場面に出くわした所を想像してみるに、「プロの救助者が到着するまでに為すべき事は何か」をはっきり認識する、という大基本を心身に染み込ませるこのやり方は(従って内容は割とシンプル)、実践に即した有効な学習方法に思えた。また、このような救護法の基本をザッとでも知っておく事は、急速に超高齢化社会を迎えつつある日本において、今後ますます意味が出てくるのではないかとも思った。
インストラクターの青木太郎さんによると、講習中に何度も名前が登場したAED(自動体外式除細動器=電気ショックを与える機器)は、この1年以内に、都内の各スポーツセンターや地下鉄の駅などに標準装備されるらしい。実際、お昼を食べにセンターの食堂に行った時、設置されたばかりAEDを目にする事ができたが、教育が行き渡っていないと、こういうものもただのお飾りになってしまうだろう。
さて、そのランチタイムに、参加者の一人Oさんが、「この辺りは興行相撲発祥の地で、富岡八幡宮には、確か雷電の碑もある」と、興味深い話をして下さった。実は、ここ2週間位、我が家では「雷電」がちょっと流行っていた。とある友人から、「私のお姉さんは、生まれた時、お父さんに雷電という名前をつけられてしまったの」という話を聞いていたからだ。男でもいじめにあってしまいそうなその名前は、もちろん小さい頃に改名されたとの事だが、「それにしてもアバンギャルドというか豪快なお父さんだよね」と私達は受けまくっていたのだ。そんな訳で、Oさんの話には「このタイミングに、この場所で!」と人一倍シンクロを感じ、講習後、降り出してしまった雨の中、傘もささずに(単に忘れただけ)富岡八幡まで足を運ぶ事にした。
そもそも「門前仲町」という駅名からして、江戸の下町情緒が漂っているが、実際の街並みもなかなか味わい深い。八幡の入り口から、伊勢式年遷宮のポスター、伊能忠敬銅像、豪華なお神輿と、見るものが沢山あったが、まずはご挨拶と足早に通り過ぎ本殿にお参りした。「横綱力士碑」はその右奥にあると案内されていたので、行ってみると、確かに石碑が林立している一画があった。しばし双葉山だとか書いてあるそれらを眺めていたが、雷電について書いてあるものは発見できず、他の所にあるのだろうか、とか思いながら帰ろうとすると、そこに数名のグループがやってきてワイワイとやり始めた。お陰で、歴代の横綱力士名は、裏面に彫ってある事が判明。初代から68代朝青龍まで漏れなく彫ってあったが、雷電は・・・と探すと、あった!欄外に「無類・雷電為右衛門」。”無類”が示す通り、強さから言えば横綱以上だったが、時代背景など色々事情があったのだろう、横綱の称号は与えられなかったのだ。
雷電の名を発見しただけですっかり満足した私だったが、神社にお参りした時は、おみくじを引くのを常としている私は、境内に入った時から目を付けていた所へと足を向けた。あいにく小銭が無かったのと(お釣をもらえばいいのだが何となく申し訳なくて)、喉が渇いていた事もあって、おみくじコーナーを横目に、自販機で飲み物を買って小銭をつくる事にした。と、唐突に境内全体にチャイム(学校で鳴るような)が鳴り響いたかと思うや、それまで開いていたおみくじコーナーには、あっと言う間にシャッターが降りてしまった。それどころか、本殿もお神輿の飾ってあった場所も、まるで役所か銀行のように、一斉にシャッターが降りて瞬時に閉店状態になってしまったのだ。飲み物を後にしておけば、おみくじも引けたのだろうが、今日はどうも大吉が来ない気配があったので、一瞬あっけに取られつつも、この流れには妙に納得する所があった。そして、最初に為すべき事(ここではお参り)をやっておくというのは、やはり大切だなーと改めて感じた瞬間だった。時は待ってはくれないのだ。雨足が強くなってきたので、早々に境内を出て、深川不動にご挨拶してから、土産に濡れせんべいを買って帰途についた。